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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇一期一会の聞き書き

 3年間の聞き書きの旅のなかで、もう一つ、わたしの印象に非常に強く残っているのは、当時74歳で現役の芸者さんを訪ねたことです。わたしは、芸者さんとは縁がなく生きてきましたが、芸者さんのくらしとか人生を知りたかった。それで、新庄市内でかつて花街があった辺りにくらしている方を訪ねました。
 わたしは開口一番、緊張ぎみに言いました。「お話しになりたくないことは、お話しなさらなくても結構ですから。」と気を遣ったつもりでした。するとその芸者さんは、背筋をピンと伸ばしてわたしをまっすぐに見つめ、「話せないことは何一つないから、なんでも聞いてください。」と言われました。
 そしてわたしは、その芸者さんに、生まれ故郷の秋田県から10歳の時に新庄の花街にやって来て以来の64年間の人生をうかがいました。寒風の中で、のどをつぶしながら声を張り上げた修行時代のことから始まり、半玉(はんぎょく)(一人前でない芸者のこと)のころの思い出などをお聞きしました。昭和9年(1934年)に東北地方は大冷害、大凶作にみまわれたので、わたしはその当時の花街の様子を知りたいと思いうかがいました。すると、花街にはほとんど影響がなかったと言われてあぜんとしたことがあります。あるいは戦時下では、人々に芸者遊びをするような余裕が無くなりますから、暇になり故郷に帰る芸者さんたちが多かったということも聞きました。
 そしてわたしは、相手が現役の芸者さんですから、なんだか聞き書きだけでは納得できなかったのですね。その方のお座敷を見てみたいと思いました。それで、ある方に頼んでお座敷を設けてもらいました。5、6人でのお座敷でしたが、その芸者さんを迎えて話をうかがいながら、彼女の三味線と歌を聞きました。その音色と歌声が非常に心に染みた、雪の降る夜の思い出深い出来事でした。
 お座敷の最後にわたしは、二つの質問をしました。まず、「今度生まれて来る時には、男がいいですか、女がいいですか。」と尋ねたのです。それに対し彼女はきっぱりと、「今度生まれる時は、男に生まれたい。」と言いました。次に、「では、男に生まれたら何をしたいですか。」と尋ねると、即座に「歌舞伎(かぶき)の世界に入って、仕事をしたい。」と言われたのです。歌舞伎は、現在でも男性にしか許されていない世界です。彼女は本当に芸事、芸能が大好きな方でした。10歳で花柳界に入りましたが、売られて来たわけではありません。彼女は、4歳のころから歌が上手で、素人のど自慢などに出場しては優勝をしていた子供だったそうです。彼女の親は、そういう芸事が好きな娘の人生を思いやり、芸で身を立てるために芸者にするという決断をしたのです。
 彼女は、わたしが書いた連載記事を手にして、かつてのなじみの飲み屋さんなどを訪ね歩いては、その記事を見せていたということです。そして、そのお座敷から数か月後に病気で亡くなったそうです。わたしは、そのことをずっと後になって知りました。彼女の娘さんから聞いたのですが、実は、わたしの取材を受けたその時には、医者からもう半年の命だと言われていたそうです。全部承知していたのですね。そしてわたしの取材を受け入れて、自分の人生を語り尽くそうとされたのでしょう。ですから、わたしはそれを聞いて、「ああ、自分は彼女の遺言を聞かせてもらったのだな。」と胸を強く打たれました。
 聞き書きというのは、往々にして、その人が生きてきた道のり、すなわち人生のすべてをそっくりそのまま投げ込んでくるような、言い換えますと遺言のような話になることがよくあります。語り手がいて聞き手がいて、両者が一期一会の出会いの中で結ばれるという、ある意味では1回限りの風景です。したがって、その場面を再現することはできないということもはっきりしています。聞き書きとはそうしたものだと思います。