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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇語り手の人生に触れる

 もう一人、先ほど少し説明いたしましたオナカマさんにまつわる思い出をお話しします。わたしが話を聞いたオナカマさんは当時76歳で、病気になったのを潮時に、すでに2年ほど前にオナカマの仕事を引退していました。何度かお訪ねして、ようやく家の中に入れてもらい話を聞かせていただきました。
 実は、わたしは山形弁はよく分からないのです。山形弁を話せと言われても、いまだに全く話せません。しかし、なぜか聞き書きをしている時には、きちんと分かるのです。わたしの友人は、「おれが山形に行って話を聞いたら、半分以上は何を言ってるのか分からなかった。お前はよく分かるな。」と言います。
 ところが、このオナカマさんの時だけは、言葉が分かりませんでした。オナカマさんは目が不自由ですから、耳から入った言葉を覚えてそれをしゃべります。ですから、話し言葉、聞き言葉だけの世界に生きているわけです。それまでのわたしの聞き書きの語り手は、文字が読めて、文字の文化に親しんできた人たちでした。さらに、わたしがよそ者だということで遠慮しながら話をしてくれました。したがって、その人たちの語りはよく分かったのですが、オナカマさんの話は半分くらいしか聞き取れなかったのです。この時ばかりは、山形弁の分かる知り合いに録音テープを起こしてもらい、聞き書きの記事を書きました。
 オナカマというと、例えば民俗学では口寄せ巫女だとか、東北のイタコの系譜につながり、シャーマニズム(超自然的存在の神や精霊などが、呪(じゅ)術・宗教的職能者であるシャーマンに乗り移り、その意思を人々に告げる呪術・宗教的形態)に関係しているなどのとらえ方がよくされます。でもわたしは、それだけではどうも納得できませんでした。少し変わった方法だったかも知れませんが、やはり、その人の人生から入っていく。さらに、彼女を支えた家族の様子や、彼女の周りの村人たちの目に彼女がどのように映っていたのか。そういうことがとても気になったのです。
 わたしは、このオナカマさんの話を聞きながら、気になった人が一人いました。それは、彼女のかなり年上の姉のことです。親が早くに亡くなったので、その姉が親代わりとなり目の不自由な彼女の面倒を見ていた。そして、その姉が、彼女をオナカマの修行に出すのです。彼女が修行に出たのは17歳の時でした。修行は、普通は初潮の前に済ませないといけませんから、彼女の場合は明らかにそれを過ぎています。つまり、彼女の姉は、迷いに迷って自分の妹をオナカマにする決断ができずに時が過ぎてしまった。そして、ようやく修行に出したということです。当時は、身体障害者に対する社会保障などがないころですから、どんなに障害を背負っていたとしても、一人で生きていくしかない。したがって、例えば新潟であれば、瞽女(ごぜ)さんのような芸能者になる。あるいは東北地方一円ならば、イタコとかオナカマといった職業しかありませんでした。そして、彼女はオナカマになる道を選んだのです。
 数年間にわたって厳しい修行が続きました。最後に「神ツケ」の儀式が行われます。これは、守り本尊となる神様が彼女の体に降りて来る儀式です。寒い季節ですが、白い浄衣(じょうい)を着ただけで毎日何十回となく水をかぶって身を清める。また、食事はまず穀断ちから始まり、次第にいろいろな物を断って、最後の方ではほとんど水だけとなります。そういう修行を経て、ついに神ツケを迎えます。ほとんど飲まず食わずでまともな睡眠も取らない厳しい修行を経た後ですから、もうそのころには、体力はほとんど使い果たしています。神ツケは、そうした状況で行われるのです。
 彼女の周りを先輩のオナカマさんたちや法印(ほういん)さんが囲みます。法印とはこの地方の言い方で山伏のことです。さらにその周りでは村の若衆が儀式の様子を見つめています。そういう中で神ツケが行われるのですが、彼女は、次第に失神状態に追い込まれていきます。そして失神する間際に、「神がついたか。神がついたか。」と法印さんに問い掛けられ、「十八夜様(じゅうはちやさま)がついた。」と彼女が答えると、それで儀式は終わります。十八夜様とは、この地方のオナカマを守ってくれる神様のことです。もし、例えば「お稲荷(いなり)さんがついた。」などと答えたら、儀式は全部やり直しとなります。
 彼女は、無事に1回で神ツケを終えることができました。わたしは、この時に立ち会った村人を訪ねて話を聞いてみました。すると、その人にとってもこの儀式の印象は強烈なものだったらしく、60年ほど昔のことをいろいろと細かく覚えていました。その語りのなかで、わたしの記憶に強く残っている言葉は、「自分はその時、初めて神様というものはいるのだということを実感した。」というものです。想像しますと、おそらくその儀式においては、非常に神聖でかつ荘厳な時間が流れていたのではないでしょうか。
 わたしは、このオナカマさんの人生を、なんの権威も権力の後ろ盾もない、ただ野に立つ一人の宗教者の姿として描きました。彼女は現役の時には、毎月1週間くらいは断食をしました。こういう厳しい修行を繰り返しながら、ずっとオナカマの仕事を続けてきたのです。
 話を聞いて思うのですが、オナカマの仕事は非常に過酷なものです。それはなぜかと言いますと、彼女がオナカマの仕事を始めたのは20歳前後の若いころです。人生経験もまだまだ少ない。もちろん、男性も知らない。そういうオナカマさんの下に、村人たちが相談事を持ち掛けて来る。例えば、ある家の嫁さんがやって来る。何を話すのかと言うと、姑(しゅうとめ)とのいさかいとか、あるいは夫の浮気だとか、つまりその人が苦しんでいる悩み事ばかりです。オナカマの所には、人生の悩み事やトラブルを抱えて、皆さんやって来るのです。そして、盲目の少女にそれらを全部預けてしまう。相談者たちは悩み事を預けることで、心が救われて帰っていきます。しかし、彼女の所には、家庭内や村内での人間関係のトラブルなど、どろどろとしたものが全部置かれていく。彼女がそれらを全部引き受けるのです。そう思うと、彼女がずっと修行を続け、そうすることによって神に守られていなければオナカマの仕事を全うすることができなかった理由が、よく分かったような気がしました。彼女は、先ほどもお話ししたように、体を悪くして現役を退いてはいますが、肉類とか卵といったなま物を現在でも一切口にしないということでした。
 結局、わたしが行ってきた聞き書きとは、語り手の人生に触れることだったのではないかなという気がしています。人生に触れるなどと言うとおおげさだし、ある意味ではごう慢な話なのですが、でも、それがわたしにとっては、聞き書きの一番のだいご味となっています。