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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

2 創業60年の歴史に幕を下ろす-傘専門店-

 松山(まつやま)市湊町(みなとまち)商店街(銀天街(ぎんてんがい))は、戦前から大街道(おおかいどう)とともに松山市商店街の中核であった。昭和28年(1953年)には、全国に先駆けてアーケードを設置した。そのアーケードの天井が銀色に光っていたことが、銀天街の名前の由来になっている。街が東西に長く伸びている(約600m)ため、当時は「銀天街横のデパート」と呼ばれ、呉服屋、洋品店を中心に靴屋、時計屋、傘屋、肉屋などの小売専門店が存在し、松山市民や近郊の人々の生活を支えていた。しかし、近年は消費者の生活スタイルや意識の変化、モーターリゼーションの進展やワンストップショッピング(1か所で様々な商品をまとめて購入すること。)の便宜性などで大型店に圧倒されている。
 松山市銀天街商店街で昭和25年(1950年)から今年(平成21年)1月まで傘専門店を営んでいた**さん(昭和2年生まれ)、**さん(昭和3年生まれ)から傘専門店の仕事と生活、商店街の変化について話を聞いた。