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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 松山工業地域

 松山・臨海地区

 人口四〇万人を超える県内で最大の都市松山と、周辺の伊予市、川内、松前、重信の五市町は、工業生産水準で高位・中位の地域で、これらをまとめて松山工業地域とした。なかでも川内町は事業所生産水準が三五八と県内第二位で、松前町が同じく二〇七で七位、松山市は一二二と低い。労働生産性水準では、川内町が一二九と地域内で最高を示し、松山市、松前町、伊予市がこれに続き、重信町はいずれも低い。これは、松山市の工業が多様化し、都市に多い各種の中小企業が集積していることと、川内町や松前町には電気機械工業や化学繊維工業など少数の特定の大規模工場が立地していることによる。
 この地域は、工業生産水準では、東予工業地域についだ地位にある。製品出荷額では県内の二七%、従業者数でも二五%しか占めていない。しかし、業種のなかには県内で占める割合の高いものもあって、特色のある工業地域となっている。例えば、都市型工業の一つである印刷・出版工業は、松山市だけで県内の製品出荷額の六五%を同じく三八%の事業所によって占めているし、井関農機その他による一般機械工業でも松山市は県内の四五%、食料品工業では松山市と伊予市が合わせて県内の四四%、化学工業は松山市だけで同じく三六%、川内町の電気機械工業は一五%を占めている(五五年)。
 松山市から南へ松前町、伊予市に至る伊予灘沿岸は、この地域のなかで臨海工業地区をつくっている。松山市のそれは、すでにふれた帝人コンビナートが形成されている。この周辺には、丸善石油松山製油所をはじめ昭和二七年に操業を開始した大阪曹達松山工場がある。大阪曹達は、ダイソーダップや苛性ソーダを主に生産し、帝人化成松山工場をはじめ県内に液化塩素や苛性ソーダを五〇%以上出荷している。この臨海工業地区は、大量に工業用水を必要とする化学工業が立地し、道前道後平野農業水利事業と重信川水系総合開発による工業用水の確保で発展をとげてきた。因みに、県内で工業用水(回収水をふくむ)を最も消費するのは新居浜市で日量一一五万m3、県内の三六%を占め、松山市がこれについで同じく八八万m3、二八%にも達している(五五年)。
 重信川の河口から南の臨海地区には、東レ愛媛工場が松前町に立地し、同町はまさしく東レの企業町の観を呈している。伊予市には、地場産業から成長して全国的に市場を広げた水産加工業の削りぶし生産がある。これら臨海工業地区には、戦後に港湾建設が進み、大可賀の外港をはじめ重信川河口右岸の今出港、そのほか吉田浜地区や伊予港などがあって、工業原材料と製品の海上輸送に重要な役割を果たしている。

  内陸地区

 松山市の市街地周辺から重信町、川内町に及ぶ内陸地区には、工場の郊外への移動や新しい立地をみている。郊外移動としては、四四年に井関農機が松山市湊町から北方の和気に、新しい立地としては松下寿電子が川内町に進出した。井関農機は松山市の一般機械工業を代表するほどの大規模工場で、これと関連した山本製作所、四国製作所なども立地して企業集団をつくりあげている。松下寿電子の立地は、重信町や川内町などへの工場進出の先がけとなったもので、用地の取得と労働力の確保、交通の便などが、これら内陸型工業の立地を進めたものである。
 食品工業は、松山市をはじめ消費市場が大きいことから都市型工業の一つとなっているが、松山市安城寺町に立地した愛媛県青果連の食品工場は、みかんの主産地にあるものとして特色がある。これは松山市中須賀から移動したもので、従業員七六一名をもつ県内でも最大の食品工場で、みかんジュース、果汁を主に生産し、ジュースの二二%が中東地域へ輸出され、県内にはいずれも二%程度が向けられているにすぎない。