データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)
七 公園・新しい文化施設
城山公園
明治六年(一八七三)の太政官布告により翌七年(一八七四)に公園として設置されたのであるが、二〇年(一八八七)にいったん廃止され、その後明治四三年(一九一〇)に再開せられた。ついで、大正一二年(一九二三)に松山旧藩主久松定謨が、政府から松山城跡の払い下げを受けて、市に寄贈したので、松山市営の公園となった(写真2-27)。
城山と堀之内一帯六三・四七haに、愛媛県民館、松山市民会館、愛媛県立美術館、愛媛県立博物館、愛媛県立図書館、愛媛県立歴史民俗資料館、愛媛県郷土芸術館等の文化施設と各種のスポーツ施設(愛媛県陸上競技場、愛媛県ラグビー場、愛媛県弓道場、市営軟式庭球場、市営野球場、市営プール)が設けられ、年間を通して各種の催物も行なわれ、市民・県民の文化活動の場となっている。なお、主要文化施設について年間の利用者数をみると、市民会館ホール三三万四二五二人(五五年)、県立博物館九万二六〇四人(五六年)、県立美術館二三万七四五二人(五六年)である。
道後公園
道後公園は豪族河野氏の居城湯月城跡であるが、明治一二年(一八七九)に陸軍省が換地として買収し、松山城公園と交換して県営の植物園となり、明治二一年(一八八八)県立道後公園として許可された。昭和二八年に動物園が併設され現在に至っている。
開設面積八・六haに動物園のほか、庭園、球戯場、愛媛県立えひめ子どもの家が設けられ、市民の憩いの場となっている。愛媛県立道後動物園の入園者数は、若干減少傾向ではあるが、昭和五六年年間総数四九万九七二〇人である。月別では四・五月の入園が多く七万人前後であり、ついで三月と八月が約五万五〇〇〇人である。なお、動物園は近々愛媛県総合運動公園に隣接する地区に移転する計画があり、跡地の利用について検討が進められている。
子規記念博物館
松山市立子規記念博物館は、県立道後公園の北隅、旧道後町公会堂のあった場所に建設され、昭和五六年四月二日に開館した。敷地面積二八〇〇㎡、建築面積一四一六㎡、延べ床面積七六〇〇㎡、地下一階、地上四階の鉄骨鉄筋コンクリート造りである(写真2-28)。
緑におおわれた公園の景観との調和を考慮し、明治という時代をしのぶにふさわしい雰囲気を出すため、建物外観の色彩は白を基調とした。外壁にはアイボリーホワイトのタイルを張りつめ、屋根には銅板を使用、正面入口の飾格子および門扉には、子規にちなんだ俳句雑誌「ホトトギス」の表紙のデザインを借り受け、文学系博物館の特徴を出している。
松山市民の間に市の文化行政の充実を望む声がたかまり、市民各界の代表者による協議の結果、松山の文化伝統に深く根ざし、かつ日本の近代文学の形成期に重要な役割を果たした正岡子規の業績を集大成することを基本構想とした博物館の設立が決定された。主な公開施設は二・三階の常設展示室と三階の特別展示室および四階の講堂、ホール、和室であり、ほかに一階の視聴覚室、閲覧室等が利用できる。常設展示室では、I道後・松山の歴史、Ⅱ子規とその時代、Ⅲ子規のめざした世界の三部構成による展示がなされ、五か所に設置されたビデオによって興味深い解説が行なわれている。
開館時間は九時から一七時まで(入館は一六時三〇分まで)、祝日に当たる日を除く月曜日と祝日の翌日(日曜日を除く)が休館日、観覧料(常設展)は一般二〇〇円、児童生徒一〇〇円、団体二〇人以上で二割引きである。五六年度には次のような事業が行なわれた。
(特別企画展)
一、「子規の絵」。-開館記念-四月二日~五月一〇日
二、「虚子・遍歴の青春」九月一二日~一一月一日
(協力展)
一、正岡子規文学碑拓本展 一一月三日~二三日
二、番町小学校「ぼくの・わたしの正岡子規」展 五七年三月三一日~四月二日
(研究会・講座)
一、テレビセミナー「人間・正岡子規」えひめ教養講座 五月~五七年三月
二、子規博セミナー 九月~五七年三月
三、日曜映画会 毎週日曜日一三時三〇分、一五時三〇分
四、子規を考える一日 九月一九日
(俳句大会)
一、開館記念全国俳句大会 四月三日一〇時から一七時まで、投句一五、八三五句
二、その他の団体による俳句大会
(講演会)
一、「若い人たちへの子規」大江健三郎 四月二日
二、「子規随想」山本健吉 四月三日
三、「子規雑感」司馬遼太郎 四月四日
四、「子規と虚子」和田茂樹 九月二〇日
五、「虚子について言っておきたいこと」深川正一郎 九月二〇日
県民文化会館
道後町二丁目の農事試験場跡地に県民文化会館の建設が進められている。二万四〇〇〇㎡の敷地に丹下健三氏の設計になるもので六〇年一二月完成予定である。工事概要は、建築面積は一万一四六〇㎡、延面積が四万一六五一・三九㎡、鉄骨鉄筋コンクリート造り一部鉄骨造り、地下二階地上五階建、建築費用一九〇億円(備品等を入れると二〇〇億円を超える)で、大劇場(三〇〇〇人)、小劇場(一〇〇〇人)の他、七つの会議室、多目的ホール、レストラン、展示場等をもち、国際会議が開催できる設備がつくられようとしている。完成時には、国立劇場(一ホール一万人)、NHKホール(四〇〇〇人)と並ぶ全国有数の会館となる。
この会館が完成すれば、この地域への人々の流入増が期待され、交通量の増加と道後旅館街への来客の増加が予想されている。それに関連して、交通路の整備(特に上一万から道後の間)と道後旅館街と文化会館とを結ぶ遊歩道の整備とがいそがれ、県民文化センター等周辺地域整備検討協議会によって作業が進められている。
総合コミュニティセンター
松山市では、市民相互のふれあいや幸せの根源となる健康増進の場として、また市民文化の創造と生涯教育推進の拠点として総合コミュニティセンターの建設に取り組んでいる。
松山市千舟町七丁目を中心とする二万六八七五㎡の敷地に、センターの顔であるふれあいのプラザが、総合体育館、温水プール、研修会議室、文化ホール、こども館、図書館の各施設を結び、それぞれの機能の独立性を保ちながら、一体感の調和を求めた構想のもとに、延床面積三万三〇〇〇㎡、地下二階地上三階、鉄骨鉄筋コンクリート造りの諸施設を九〇億円余りの予算で建設しようとするものである。
主な施設として、プラザ(プラザ三〇m×三〇m、レストラン一○○席、カフェテラス、情報センター、ギャラリー)、文化ホール(一〇〇〇席)、研修・会議室、体育館・温水プール(ニュースポーツコーナー、トレーニングコーナー、サウナ、健康体力測定室、スポーツ情報コーナー)、図書館、こども館(プラネタリウム、展示コーナー、プレイルーム等)などが計画されている。
総合公園
総合公園整備計画が推進されている。松山市街地の西部に位置し、北には久万の台緑地、西に隣接する岩子山緑地からつらなる大峰ケ台丘陵地一帯について、その自然環境を保全するとともに、すべての市民がいつでも利用でき親しまれるよう総合的に整備することと合わせて、広域的な観光の名所としても整備することを目的として開発しようとするものである。そこでは、人間の生活環境との調和を図りながら、公園の性格に見合う機能を持たせることが必要であるとして次の諸点が挙げられている。
○積極的に緑の創出を図り、自然と調和した公園
○観賞施設として植物園的要素を強調した公園
○市民の心身の健康づくりを推進する公園
○市民の教養を高める公園
○歴史的、文化的にも松山らしい個性を生かした公園
○広域観光の拠点となる公園
そして、基本方針の一つとして、松山市民だけでなく、松山広域都市圏域にもおよぶ観光の名所として、松山城、道後温泉など数多く点在する名所の一つとして整備することが挙げられ、教育文化ゾーンの植物園、文化保存館、展示資料館、体育施設ゾーンとしての展望広場、植物園内広場の施設配置が計画されている(図2-46)。