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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

二 運動公園・動物園


 運動公園の沿革

 松山市の南端、伊予郡砥部町にまたがる丘陵地帯につくられた県営総合運動公園は、県民の屋外レクリエーションおよびスポーツ活動の需要に対処するため、松山市広域都市計画区域に設置され、都市環境の向上を図るとともに、県民福祉の増進に寄与しようとするものである。この公園は昭和四六年に「県営総合運動公園整備事業」として始まり、プロジェクトチームを編成して事業を推進し、五五年五月に開園した。その間、四七年一〇月には約一一三haの都市計画が決定し、同年一二月に約五二・八haの都市計画公園事業が認可された。翌四八年四月に運動公園に関するマスタープランが作成され、同年七月からの埋蔵文化財調査を経て、五五年三月に主要施設が完成した。これらの施設は同年八月に開催された全国高等学校総合体育大会の主会場として利用され好評を博した。また、五六年一二月に動物園整備検討委員会から基本方針の答申が出され、道後動物園の移転が具体化した。さらに、五七年一〇月には動物園整備基本設計が作られ、同年一一月から動物園整備敷地造成工事に着工した。
 この公園は松山平野の南部丘陵地にあるため県都松山市の町並みが一望でき、また石鎚山・皿ヶ峰などの山岳地域を背景にした風光明媚な土地にあり、周辺には古噴群が点在している。造成された総面積五二・八haの台地に、陸上競技場・補助競技場・体育館・庭球場・球技場・多目的広場・子供広場・キャンプ場・遊歩道などが設置され、県民の「憩とスポーツの広場」として利用されている(図3-51)。なお、公園の管理運営については、運動施設は財団法人愛媛県スポーツ振興事業団が、その他の施設は愛媛県土木部都市計画課公園緑地係が、動物園関係は同じく生活福祉部家庭福祉課児童係が担当している。


 施設の概要

 陸上競技場は面積三万三五九〇㎡、収容人員三万人で、そのうちメインスタンド七六九四人、盛土スタンド二万二三〇六人である。なおメインスタンド席には身障者席が二〇〇席設置されている。このメインスタンドのロイヤルボックスとメインポールを結ぶ延長線上に霊峰石鎚山が望見できるよう設計されている。競技場内には、全天候型舗装の八〇〇mトラック八コース、一〇〇m直走路八コース、跳躍場、投てき場、障害池などが設けられ、いずれも第一種公認の施設である。なお、補助競技場は面積一万九三〇〇㎡で、セミアンツーカー舗装の四〇〇mトラック六コース、全天候型舗装の一〇〇m直走路二コース、跳躍場などが設けられている。
 陸上競技場の西側に隣接する体育館は主体育館と補助体育館からなり、面積一万二〇〇㎡で、主体育館の競技床面積二一四二㎡、補助体育館の競技床面積は一一七八㎡である。主体育館には固定観客席が二四〇一席あり、卓球台一八台のほか、バドミントン十二面、バレーボール三面、体操・バスケットボール・テニス各二面、ハンドボール一面のコートが確保できる。なお、補助体育館にも、卓球台六台のほか、バドミントン六面、バレーボール二面、体操・バスケットボール・テニス各一面のコートがある。
 庭球場は陸上競技場の東に隣接し、面積一万六六六〇㎡で全天候型舗装のテニスコートが一六面ある。また鉄筋コンクリート製九八四㎡のスタンドには日よけの屋根が設けられ、観客収容人員は一五六〇人である。そのほか、サッカー・ラグビー兼用の球技場は面積一万九九二〇㎡で、観客収容人員二三〇〇人、一般利用客が気軽に利用できる多目的広場は、面積一万二三二〇㎡でレクリエーションや各種催し物等に利用されている。また、既存の溜池沿いに広がる約〇・五haの芝生地はキャンプ場として使われ、入口広場の日本庭園や修景池と共に、散策・休息の広場となっている。
 公園内を走る幹線道路は総幅員二二m、延長一三八四mで、国道三三号から分岐して公園内を横断し、各施設を連絡している。また散策のための遊歩道が園内を縦横に走り、総延長は約四八六〇mに達している。なお、遺跡群としては、県指定文化財である大下田古墳群一五基をはじめ、古鎌山古墳一基、谷田窯跡二基、西大池古墳群八基などがある。これらの埋蔵文化財の保存については、公園計画の一環として整備することとし、可能なものについては一般公開することになっている。


 運動公園の利用状況

 この運動公園の諸設備は西日本でも有数の規模と内容を有し、北海道と沖縄を除く全国の都府県議会から見学者が訪れ、また中国西安市長など外国からの見学者もある。この施設を利用して開かれた国際試合としては、昭和五五年六月一日のバレーボール国際試合における全日本対アルゼンチン、五六年一一月二二日のワールドカップバレーボール大会におけるソ連対チュニジア、中国対ポーランド、また五八年二月二〇日のラグビー国際試合でのニュージーランド対全関西の各試合がある。また、施設利用者及び来園者も年々増加し、五五年には約九三万四〇〇〇人余であったが、五七年には約一二○万人に達している(表3-62)。五七年の利用者総数は約二二万九九〇〇人で、陸上競技場及び補助競技場利用者が三一・五%、体育館・補助体育館利用者が二〇・三%、そのほか球技場利用者三〇・七%、多目的広場利用客一一・六%である。また、小・中学校の遠足や親子連れの来園者の利用も多く、県外からの利用客もみられる。しかし、埋蔵文化財の関係でプールが建設できないこと、駐車場が三か所で収容台数二九五台分しかないことなども問題点である。また、市民の間から、硬式野球場や、土俵・馬場の設置が要請されており、今後の課題である。


 動物園

 現在の道後動物園は、昭和二八年一〇月、児童福祉施設の県立動物園として道後公園内に設置され、面積二万七四三八㎡、展示動物の種類は一四五種、七四七点である。開園当初の入園者は年間二五万人程度であったが、その後の動物園の整備にともなって順次増大し、四八年には七〇万人を越す入園者があった。しかし、五三年に道後公園周辺の民間駐車場が廃止された関係もあって、五五年には五五万人程度にまで減少した。また、都市化の進行により周辺に旅館や住宅が密集し、動物園の存在がこれらの地域の生活環境を阻害するようになった。そのほか、敷地が狭小でこれ以上の規模拡大が望めず、動物の自然生態に適した飼育ができないこと、都市公園内に動物園があるため、公園本来の機能が発揮しがたいことなどの理由から、動物園を移転させることとなった。
 新しい動物園の移転計画は、森川国康松山東雲短大教授(当時)ら十三人の学職経験者を中心として、これに行政機関、県職員を加えた二二名からなる動物園整備検討委員会によって作成された。同委員会は動物園の移転候補地として、県営運動公園の南西隅に隣接する伊予郡砥部町宮内地区の山地を指定し、ここに面積一七万四〇○○㎡、展示動物数一八〇種一〇〇〇点の動物園を開設することになった。これは全国のレベルからいえば中規模の動物園である。また展示方式としては、地理学的・分類学的分布をもととするゾーン別展示方式を原則とし、観覧方式は一部放養式を取り入れ、周囲に堀をめぐらしたモートとケージの併用方式が計画されている。
 この動物園整備事業の実施期間は、基盤整備の中心となる公共事業の推移に合わせて次の三期に区分されている。一次計画は昭和五七年度から六二年度まで六か年で、基盤施設の整備を行い、六二年度に道後動物園から移転して暫定開園する。二次計画は六三年度から六五年度までの三か年とし、動物の追加など拡充整備をはかる。また三次計画は六六年度以降とし、動後園の運営状況を見きわめながら整備拡充について検討する。なお、交通網の整備は運動公園の利用とも関連しており、路線バスの運行強化・駐車場の確保などが検討されている。また園内にはメリーゴーランドやゴーカート、ミニSLなど、子供の夢をさそう遊戯施設も計画されており、魅力的な動物園の建設が進められている。この道後動物園の移転が完了すれば、既設の運動公園と合わせて県内の新しい有力な観光地となることが予想される。

図3-51 愛媛県総合運動公園配置図

図3-51 愛媛県総合運動公園配置図


表3-62 運動公園来園者及び施設利用者

表3-62 運動公園来園者及び施設利用者