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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 農家の変遷


 農家戸数の変移

 明治初期の農家の実態は史料欠如のため明らかでないが、明治一七年の愛媛県統計書によると、農家の総戸数は一四万六、一四〇戸になっている。同書の専業、兼業別表では一四万一九二戸になっていて両者の間に六千戸の相違があるが、明治一〇年代の農家戸数は一四万を超えていたことがわかる。その後は急速に減少し、四年後の明治二一年には一三万五、一四八戸に激減しているが、この減少は同一四年に始まった経済恐慌(松方デフレ政策)下の農民層の急激な分解による転落農家の増加によるものである。
 以来漸減の歩趨をたどりながらも大正九年までは一三万台を維持していたが、同一〇年に一二万九、四九一戸に減少し、この一二万台が太平洋戦争の末期まで続いた。

 専業・兼業別農家の変遷

 以上のように農家の総戸数は、明治初期から太平洋戦争の終結まで確実な足どりで減少しているが、これを専業農家、兼業農家別に観察すると時代により著しい増減の相違が見られる。
 専業農家数は明治初期から第一次世界大戦の直後までは、農家の総戸数とほぼ同傾向で減少しているが、大正末期から増加の趨勢をたどり始め、この傾向が日中戦争勃発の直前まで続き、最高に達した昭和一〇年には九万七、九〇八戸、全農家の七六%(明治一七年 七二%)が専業農家であった。開戦と同時に兼業化が急速に進み、これと並行して専業農家の減少が顕著となり、終戦直前の昭和一九年には四万戸(三三%)にまで激減し、全農家の六七%(八万四、六七九戸)が兼業農家に変貌した。

 経営規模別農家の変遷

 農家戸数の変遷を経営規模別に観ると、統計資料がなく明治四〇年以前の実態は不明であるが、同四一年以降、約二〇年間は各層とも一様に減少傾向をたどっているが、昭和期に入ると五反未満の零細農と、二町歩以上の中農・大農層が逐年減少し、逆に一町から二町までの小農層が増加している。この傾向は昭和一二年~同二〇年の戦時下では特に顕著となり、五反未満層の著しい減少と対照的に一町歩~二町歩の中農層が急激に増加している。
 各時代を通して見られるこの中農層の減少は、第二次、第三次産業への移動、流出で農村の労働人口(次男、三男、子女)が減少し、中経営の成立要件となっていた雇用労力(且雇、季節雇、年雇)の確保が困難となったためであり、零細農の減少は規模拡大により五反~一町歩農へ昇格する者と離農者が増加したことによるものである。
 零細農は潜在的失業率が高く、雇用労力の豊かな源泉となっていただけに、その減少は庸用労力を支柱としていた中農層の存立を脅かす結果ともなり、また農家総戸数の減少も主としてこの零細農の脱農に因るものであった。

 階層別農家の変遷

 自作、自小作、小作の階層別農家戸数の変遷を観ると、明治一〇年代のわずか数年間に自作農と小作農が著しく減少し、反対に自小作農が増加している。短期間に発生したこの激しい階層の分化は、明治一七年恐慌(同一四年に始まり一七年に最高に達したデフレ恐慌)で、自作農から自小作農への転落者、小作農からの離農者が続出したことに因るものである。
 明治二〇年の愛媛県農商工統計表によると、同年の農家戸数は一七万八、三〇七戸であるが、翌二一年には一三万戸(愛媛県農事概要)に減少している。この明治二〇年の統計には若干の疑問があるが、それにしてもこの著しい農家戸数の減少は、恐慌による農家経済の深刻さと、その中心が小作農層に集中していたことを示している。
 その後の二〇年間を見ると、一七年恐慌いらい増加の趨勢をたどっていた自小作農は急速に減少し、他方では自作農、小作農が急激に増加している。この時期は日清、日露の両戦役により、経済界が大きく変動する中で、自小作農が極めて明確に自作農と小作農の両極へ分化した時代である。特にこの時期に見られる著しい特徴は、小作農家が急激に増加していることである。
 しかしその小作農も、大正から昭和にかけて再び減少の傾向をたどり、昭和八年には三万一、八七九戸に減少している。この戸数は明治二一年の二万七、四八二戸に次ぐ史上二番目の戸数である。地主と小作農の対立緩和、頻発する小作争議対策として、自作農の創設維持、多角経営、副業の奨励指導などにより、小作農対策、自作農の育成政策が活発に推進されたのがこの時代である。
 以上のように階層別農家戸数は時代により複雑な変遷をしているが、長期的展望に立つと殆ど変化が見られないのは自作、自小作、小作の構成比率である。次表(2-15)のとおり明治一七年には自作三三%、自小作四三%、小作二四%となっているが、恐慌で階層が烈しく分化した同二一年には、自作三二%、自小作四八%、小作二〇%に大きく変化している。しかし明治末期には、自作三六%、自小作三六%、小作二八%となり、以後この比率が不動のまま太平洋戦争後の農地改革まで続いた。




表2-12 専業・兼業別農家戸数

表2-12 専業・兼業別農家戸数


表2-13 耕作地の広狭別農家

表2-13 耕作地の広狭別農家


表2-14 自小作別農家戸数

表2-14 自小作別農家戸数


表2-15 自作、自小作、小作構成比

表2-15 自作、自小作、小作構成比