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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

三 農作物の変遷


 明治初期の主要農作物
 
 内務省勧農局調査の明治一〇年全国農産表(『資料編社会経済上』一二二~一二三頁)によると、伊予国一、〇二七か村の主要農産物は次の二三種類になっている。(海産物・林産物・工業製品は除く)明治一〇年は農民による米の自由販売、田畑の勝手作が許された明治四年から六年目、地租改正(明治九年より実施)の直後であるが、五穀(米・麦・粟・黍・豆)のほか、四木(桑―繭・楮・漆・茶)や三草(藍・麻・紅花)など、近世のそれに酷似した自給自足的色彩の濃厚な作物が多い。
 郡別統計(『資料編社会経済上』一二三~一二八頁)から作物の地域分布を見ると、基幹作物の米と麦は全郡にわたっているが、他の作物には地域によって著しい違いが見られる。米麦以外の作物の分布を知るために、生産量の序列が五位までの郡を作物ごとに整理すると、次表(2-17)のように各作物とも主産地は、山間あるいは中山間地帯の多い宇摩・新居・浮穴・喜多・宇和の諸郡に集中している。

 明治中期の農作物

 この明治一〇年の全国農産調査から一三年後の明治二三年の二月に着手し、一〇有五月を費やして総合的な農業の実態調査が実施され、同二四年九月に『愛媛県農事概要』が完成した。
 この『愛媛県農事概要』では、明治二一年における農産物一一八種類の生産量、生産額が調査されている。(『資料編社会経済上』一二九~一三三頁)この一一八種類の農産物で生産額が上位にある一〇作目と、前記の明治一〇年全国農産調査の作付面積一〇位までの作物を対比すると次の表2-18・2-19ようになる。
 この両調査の比較によると、普通農産物では基幹作物の米・麦・甘藷の位置は不動であるが、一〇年間に雑穀の蜀黍・黍・稗の三作物が衰退し、代わって豆類の小豆・蚕豆・豌豆の三者が新興作物として登場している点が目立ち、特有作物では、生産額の序列に若干の変動は見られるが、作物には全く変化がなく、農業生産、農家生活におけるこの一〇作物の重要性は明治の中期まで存続していたことを示している。農作物に関するかぎり、近世の形態は明治二〇年ころまで残っていたと見ることが出来る。

 農作物の盛衰

 維新後も近世の延長線上で久しく停滞していた農作物にも、明治二〇年代の半ばから顕著な変化が現れる。各作物の変遷の跡は千態万様であるが、大別すると次の三群に類別することが出来る。

 (一) 明治と共に終始、成長し続けたもの
 (二) 漸減、衰退の一途をたどったもの
 (三) ある時期まで成長し、その後は減少せるもの

 成長作物の代表は米麦と甘藷の食糧作物であるが、その他に三椏と楮が見られる。工芸作物の大半が消滅あるいは衰退の一途をたどったなかで、三椏と楮は成長を続けた唯一の例外的な特用作物である。この両作物は明治一〇年ころから徐々に増殖されていたが、紙の需要増加、抄紙業の隆盛によって原皮価が急騰し、明治二〇年前後には、米作の反当収益(一円七一銭)に対して楮(三円二四銭)は二倍、三椏(六円三七銭)は四倍の高収益が確保できる有利な商品作物であった。
 衰退作物の代表は、甘蔗・棉・藍の三作物である。棉は松山・今治・西条の近傍を主産地として栽培され、。養水の不足する水田地帯では明治以降も増反の傾向を示していた作物であるが、アメリカ綿の輸入増加に圧迫され、明治二七年ころから急速に衰退し、明治四五年には僅かに一二町歩の栽培面積に激減している。
 甘蔗は古くから宇摩・新居・周桑・伊予・温泉の諸郡で栽培され、明治二四年『愛媛県農事概要』によると、「天明年間より明治の初年に至る迄、益盛大に進みたり 爾後洋糖の輸入盛なるに趣き和糖の不景気を来し其影響 甘蔗に及び衰頽の状を呈せりと雖も、従来作付の慣行に従うと、田となすには養水の欠乏なるとの原因により現今に至っては、却で作付反別を増加せり。又宇摩郡中 旧西条藩に属したる村落に於ては、田地へ甘蔗を植ゆるを禁ずる制、廃藩と共に絶えたるにより、追々此作を増せり」とあり棉と同様に、養水の不足する水田二毛作地帯では、稲作よりも重視される作物になっていた。
 その甘蔗も洋糖の輸入に加えて、台湾糖の移入が本格化した明治三四年を境にして、年毎に漸減し明治四五年には一七四町の面積に低下した。
 藍は織物業の興隆に促されて、明治の中期まで成長作物の一つになっていたが、ドイツから廉価な人造染料が輸入されるようになり、明治三七年ころを転機にして急速に衰微した。
 前三者に比較すると、衰退の速度はやや緩慢であるが、消費構造の変化(灯用石油の消費増)により、減反の歩趨をたどったのが菜種である。明治末期の栽培面積は二、〇〇〇町歩を割っていた。紅花と蜀黍は、明治中期には統計から完全に姿を消し、また明治前期の資料不足により正確な追跡は出来ないが、茶と漆も明治の後半期から停滞、あるいは後退を続けた作物である。




表2-16 伊予国農産表

表2-16 伊予国農産表


表2-17 郡別農産表

表2-17 郡別農産表


表2-18 普通農産物

表2-18 普通農産物


表2-19 特有農産物

表2-19 特有農産物


表2-20 成長作物

表2-20 成長作物


表2-21 衰退作物

表2-21 衰退作物


表2-22 中期まで成長のち減少の作物

表2-22 中期まで成長のち減少の作物