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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

四 畜産共進会


  1 畜産共進会の変遷

 家畜改良上重要な役割を果たし、ひいては畜産の振興に多大の貢献をした事業として家畜の品評会、共進会が開催されたが、単に特性、優劣を審査して優良家畜を選抜表彰するということのようであるが、登録事業などの組織的改良が始まるまでは、家畜改良、畜産振興上最も有力な施策事業であった。しかし今日のような近代的形式が整うようになったのは明治一〇年に勧業施策の一つとして東京上野公園で開催された第一回内国勧業博覧会が始まりで、明治一三年各道府県に通牒し共進会などの開催を促したことから、各地で盛んに開催されるようになったもので、それまでは、牛馬を供養する宗教的行事から自然発生的品評会として供養や繁昌を祈願して家畜商などの世話で地域のよい牛馬を集めて行ったもので、よい牛馬の出品が実物教育となって気運が醸成されたのである。
 また明治四一年にも奨励規程による道府県区域または、その連合共進会の開催を促し、入賞畜に対する賞金交付、審査長の派遣、功労者に対する奨励金下付など斯業の奨励に努め、また四三年には道府県連合共進会規則も公布され、その後大正三年三月二〇日~七月三一日まで上野公園で東京大正博覧会が開かれ、その一環行事として本県も参加する全国的な共進会となった。
 次いで同四年に畜産組合法が公布され、市町村を単位とする牛馬、養豚、養鶏などの組合の設立が奨励されるようになって、これらの組合主催による単一畜種の共進会も逐次各地で開催されるようになり、大正八年には農商務省令として畜産奨励規則が公布されてから道府県においても総合畜産共進会が盛んに開催されるようになった。
 本県においては、この年はじめて県畜連主催で第一回愛媛県畜産共進会(総合)が松山市道後公園で開催され、以後各郡市区域の共進会や品評会がしきりに開催されるようになった。ついで昭和二年第二回を開催以降は農村の窮状は言語に絶し世を挙げてこれが救済に腐心するいわゆる昭和農業恐慌などから一時中止のやむなきに至り、昭和一三年にようやく第三回を丹原町で開催し、以来一四年から一八年まで八幡浜・松山・今治・大洲・郡中と各郡持ち回りの形できたが、太平洋戦争に突入してから中絶した。
 戦後昭和二二年復活し、第九回を今治で、翌二三年は第一〇回を宇和島で、二四年には愛媛県産業復興大博覧会に併せ第一一回を松山で、同年第一二回を今治で、二五年には県畜連最後の主催で第一三回が松山市で開催され、翌二六年から愛媛県主催となり第一四回が松山市で開催された。その後三八年(二六回)に八幡浜で、三九年(二七回)に今治で、また四二年は第六回四国連合畜産共進会が今治市で開催された関係で県共進会を中止した以外は、四八年まで総て松山家畜市場で開催された。
 なお二八年第一六回より愛媛県農業祭の一環事業としてその賑いを見せて来たが、昭和四九年第三六回より地方競馬事業補助金などの関係から愛媛県畜産会が主催することとなり、各種付帯事業などを加えて名実共に総合共進会として昭和五九年第四六回まで一一回にわたり華々しく継続されたが、畜産会事業の増大により経済連・酪連などのバックアップで県家畜改良協会が六〇年度より主催する話し合いとなった。
 また戦後二三年にはこれまでの肉畜(牛、豚)は生体審査であったが、より公正を期するため、屠体あるいは枝肉審査による第一回県肉畜肥育競技会を東京芝浦屠場において開催して以後毎年回を重ねてきたが、二九年、大阪に県立肉畜冷蔵庫が設置されるに及んで中止され、以後施設の利用にとどまっていた。
 三八年に至り肉畜共励と販路拡張のため復活することとなり、第一回肉畜見本市を大阪で、第二回以降七回までを神戸で開催してきたが、規格取り引きの実施、産地枝肉・カット肉出荷の普及などから、第八回より地元県経済連食肉センターで開催することになり現在に至っている。


  2 四国連合および全国共進会

 なお大正一〇年には中央畜産会主催により四月三○日から五月九日まで初めての畜産単独の共進会行事として畜産博覧会が、また一二月一二日~一七日まで全国肉用畜産博覧会が開かれ、本県も参加して大いに人気を呼んだ。
 さらに中国連合、九州連合共進会が開催されている情勢などから四国連合共進会開催の要望が高まり、昭和三年四月一五日~一九日の五日間高松市西浜新町高松グラウンドにおいて第一回四国四県連合畜産共進会が開催され、種牛五〇(うち愛媛県一〇)、肉牛三一(八)、種馬三〇(六)、種豚五〇(一二)、種鶏一〇〇(二八)、総数二六一点(六四)が出品された。
 なお第二回以降の開催は次のとおりであった。

 第二回  昭和六年    徳島市
 第三回  昭和九年    松山市
 第四回  昭和二六年  高知市
 第五回  昭和二八年  高松市
 第六回  昭和三九年  徳島市
 第七回  昭和四二年  松山市

 次に戦後全国段階においても、昭和二六年一〇月神奈川県平塚市において、日本ホルスタイン登録協会主催で第一回全日本ホルスタイン種牛共進会が開かれて現在までに七回の開催をみた。
 翌二七年三月、静岡県三島市において、日本種豚登録協会主催で第一回全国種豚共進会が持たれてから現在までに九回開催された。
 また二八年には広島市において全国和牛登録協会の創立五周年記念行事として、第一回全国和牛共進会を開催し、二回目からは全国和牛能力共進会と改称し現在までに三回開催された。
 さらに三〇年には、東京上野において、日本緬羊協会、同登録協会ならびに日本山羊協会、同登録協会の四者共催で、第一回全日本緬羊・山羊共進会が開かれ、本県もその何れにも出品して、畜産振興に及ぼす影響は少なからぬものがあった。