データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)
一 実施要領
終戦直後の開拓政策
敗戦により失職した戦災者・都市疎開者・旧軍人・海外引き揚げ者などが職を求め、食糧を求めて農村に向かって押し寄せてきた。今にも暴動が起こるのではないかと思われる混沌たる世相であり、敗戦国の悲哀をこのときぐらい痛感したことはなかったであろう。
本県においても配給食糧の不足を補い、あわせて就労することを目途に、各地で開墾が行なわれた。おもな場所は、温泉郡北吉井村・小野村にまたがる小野村演習場 一〇八町歩、周桑郡吉井村・西条市にまたがる西条航空隊用地 一三〇町歩、松山海軍航空隊基地 二七五町歩、松山城北練兵場 二一町歩、及び越智郡岩城村の大阪陸軍航空補給廠岩城出張所用地 九四町歩などであった。
このような混乱期に政府は、戦後初めての政策として国内一斉に開拓事業を実施することとし、次のような「緊急開拓事業実施要領」を閣議決定した。
なお、これに関連し、第一次農地改革といわれる農地調整法の改正が行なわれ、開拓用地の取得を法的強制力をもって容易にし、食糧増産と失業対策の推進を図った。
緊急開拓事業実施要領(昭和二〇、一一、九閣議決定)
第一 方 針
終戦後の食糧事情及復員に伴う新農村建設の要請に即応し、大規模なる開墾、干拓及土地改良事業を実施し以て食糧の
自給化を図ると共に離職せる工員、軍人其の他の者の帰農を促進せんとす。
第二 要 領
一 開 墾
(一) 開墾面積
開墾面積は一五五万町歩(内地八五万町歩北海道七〇万町歩)とし、概ね五ヶ年を以て完成するものとす。
(二) 事業主体
イ 概ね五〇町未満の小団地開墾は地方長官に於て、適当と認むる団体、個人をして施行せしむるものとす。
ロ 概ね五〇町歩以上三〇〇町未満の集団地開墾は都道府県農地開発営団地方農業会其他実力ある団体個人をし
て、施行せしむるものとし地方長官之を決定するものとす。
概ね三〇〇町歩以上の集団地開墾に付ては、農林省に於て之を決定するものとす。但し、北海道に付ては別途
考慮するものとす。
ハ 軍用地中農耕適地は、自作農創設の為急速に開発せしめ可及的速かに払下等の処分をなし、旧耕作者及新入植
者に譲渡するものとす。
右払下等の処分に関しては農林省及び大蔵省協議の上、之を決定するものとす。
尚最近に於ける急速軍備拡充の為買上又は寄附に係る土地にして、特に前所有者より返還の要望ある場合は
取得当時の事情をも勘案し、当人に於て自作するを適当とするものに付ては前所有者への還元を認むるものと
す。但し之が還元に当っては当該地区全体の開発利用計画の一環として、之を実施し換地等の方法によることあ
るものとす。
(三) 所要労力
開墾作業労力は延約一一七、二三〇万人とす。
(四) 増産目標
開墾地には米、麦、豆類、雑穀、藷類等の主要食糧作物を栽培し昭和三十年度の増産目標を一四、〇二七、〇〇〇
石とす。
二 干 拓
(一) 干拓面積
干拓面積は、約一〇万町歩とし、概ね六ヶ年を以て完成するものとす。
(二) 事業主体
干拓事業は原則として、国営又は県営に依ることとし公共的に行う民間事業をも勧奨するものとす。
(三) 所要労力
干拓事業の所要労力は延約四〇、〇〇〇万人とす。
(四) 増産目標
干拓地には米麦等主要食糧作物を栽培するものとし米二、〇〇〇、〇〇〇石麦三四〇、〇〇〇石の増産を図るもの
とす。
三 土地改良
三か年間に二一〇万町歩の土地改良事業を行う。(以下略)
四 帰農計画
(一) 帰農戸数
帰農戸数は一〇〇万戸(内地八〇万戸、北海道二〇万戸)を目標とし概ね五ヶ年間に入植せしむるものとす。
(二) 帰農方法
帰農方法は健実なる自作農を創設する目標の下に集団地入植又は小団地入植を為さしむるものとす。