データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予市誌

4 公民館の活動

 公民館の創設 
 戦後、文化的・平和的民主国家を目指す我が国として、特に文化に恵まれない地方住民に対し日常的な文化環境を与え、住民お互いの交友を深めることができる施設を整備充実することの必要性が痛感された。一九四六(昭和二一)年七月文部省は、「公民館の設置運営について」の通達を発して、公民館設置運動に明確な指針を与えた。
 一九四七(昭和二二)年九月六日、郡中町は当時公会堂であった彩浜館を公民館施設に転用し、郡中町公民館を開設した。初代館長には大元茂一郎を任命した。北山崎村と南伊予村の公民館は、翌一九四八(昭和二三)年一〇月一日に設置された。南山崎村では遅れて一九五二(昭和二七)年四月一日に発足した。

 昭和二〇年代の公民館 
 当初は住民の認識も不徹底であったが、各館は県の指導によって、施設としての公民館、総合拠点としての公民館、集会所としての公民館をめざして努力した。公民館運営については、市町村民の意思を代表し、もっとも民主的かつ自主的な組織として、運営委員会(後に運営審議会)が持たれた。委員会は館長の諮問にあずかり、各種事業の実施について審議立案した。当時の活動としては、成人教育講座・増産・納税・公明選挙・不良化防止などについての啓発、図書の貸し出し、婦人会・青年団等の指導が主なものであった。一九五二(昭和二七)年郡中町公民館は、自治警察署跡に移転した。

 伊予市発足後の公民館組織と活動 
 統合前に四か町村それぞれ独立していた公民館を統合して伊予市公民館とし、各町村にあった公民館をそれぞれ支部とした。そしてそれぞれの館に運営審議会を置いた。
 伊予市教育委員会に置かれた社会教育課(課長土居愛記)は、公民館(館長大元茂一郎)とタイアップして、年度当初にその年度の課題を設定し、盛んな活動を展開した。例えば昭和三二年度では、生活改善、道徳心の高揚、各種団体との連絡協調、分館活動の活発化の四本の柱を立ててその課題を更に分析している。
 こうした方針の具体化によって分館活動が活発となり、一九五八(昭和三三)年四月現在では第178表のように整備された。

 婦人学級及び青年学級の開設 
 公民館活動の活発化に伴って、婦人学級及び青年学級が各支館に開設された。特に婦人学級は部落単位においても数多く開設された。一九五八(昭和三三)年四月現在の学級開設状況は、第179表と第180表のとおりで、市制施行後の公民館活動の躍進の跡が歴然と現れている。

 青年学級の推移 
 旧南伊予村においては女子青年のための洋裁学級が、西松常子を専任講師として伊予小学校内に設けられていた。
伊予市発足後は灘町公民館で引き継がれ、一般教養・料理・洋裁・生花などが、花嫁学級のもとで行われたが永続きせず廃止となった。
 青年学級では、中央学級及び部落青年学級の育成、商工業に従事する青年の商工青年学級を開設した。特に後者は、一九六一(昭和三六)年から一九六三(昭和三八)年にかけて一時は学級生か八〇人にも達し、料理・珠算・簿記・書道・商店経営法などが学習され文集「わかたけ」を編集印刷した。昭和四五年度の状況は次のようである。

 <名称>       <実施機関>  <学級生徒>  <努力点>
 伊予市青年学級    伊予市公民館    六八     市民生と連帯意識の高揚
 伊予市女子青年学級  灘町地区公民館   五〇     家事に関する知識技能の習得
                      (昭和四五年度『伊予市教育要覧』による)

 婦人学級の状況 
 文部省指定や市指定の学級が設けられ、課題別・趣味別の学級も各所で開設された。昭和四五年度におけるものは、家庭教育学級が、大平・市場・新川・宮下・幼児教育学級が、中村・灘町・上野地区・大平に開設され、大平のは文部省委嘱学級であった。また、生活学級(消費者教育・環境教育)が上野地区と本郡に持たれた。

 成人学級の発展 
 一時は、産業講座・愛護班講座などが行われた。昭和四五年度におけるものは、梶畑・三島・湊町・上三谷各部落の両親講座と、一九六〇(昭和三五)年ころから育成された老人学級(高齢者学級)が中村地区と上野地区に開設され、うち中村のものは文部省委嘱となっていた。

 教育キャンプ村 
 伊予市教育キャンプ村が開設されたのは、一九六八(昭和四三)年で、伊予市公民館が実施の主体者となり、伊予市青少年問題協議会・伊予市愛護班連合会・伊予市PTA連絡協議会・伊予市防犯協会がこれに協力した。開設期間は小中学校の夏休み中、場所は谷上山宝珠寺境内であった。テント七張で収容人員五〇人、一泊二日で、子ども会員・少年団員・ボーイスカウト隊員・勤労青年・VYS会員などを対象とした。講師は参加団体で委嘱し、キャンプ設備を利用してテントの設営、炊さん、登山、キャンプファイヤーなど自主的研修生活を行った。
 一九七一(昭和四六)年からは場所を大谷池の池床に移し、テントも昭和四七年度には一〇張、収容人員も七〇人となった。
 このキャンプ村は青少年に自然に親しむ機会を与え、キャンプを通じて共同生活のあり方を体験させ、広い社会性を身につけさせる効果は大きいものがあった。

 放送をくらしに生かす運動 
 昭和四〇年度に活動を始めたこの運動は、市内小中学校や社会教育関係団体の協力とNHK松山中央放送局の援助を得て、家庭におけるテレビの計画視聴を中心として、具体的な研究と運動を進め、次のような資料を累積した。

 昭和四二年三月 テレビ家庭視聴・放送利用活動 実態調査報告
  同四三年三月 こどもとテレビ(家庭における子どものテレビ視聴の実態と対策)
  同四四年二月 こどもとテレビ(家庭における予どものテレビ視聴研究)
  同四五年二月 こどもとテレビ(家庭における親子のテレビ利用)
  同四六年二月 こどもとテレビ(家庭におけるテレビ計画視聴の実際)
  同四七年二月 くらしとテレビ(くらしに役立てるテレビ利用)

 この研究と運動の状況は、市公民館主事岡井延男が、日本放送協会編集の『情報化時代の社会教育』の冊子の中で事例研究として全国に紹介した。これについて東京大学松原助教授は、「運動展開の方法が極めて論理的かつ計画的で、典型的な手順と配慮がなされている。」と同書の中で高く評価した。

第178表 伊予市公民館分舘の状況

第178表 伊予市公民館分舘の状況


第179表 婦人学級

第179表 婦人学級


第180表 青年学級

第180表 青年学級