データベース『えひめの記憶』
伊予市誌
二三、銀杏狸 (下吾川)
下吾川の銀杏の木通りに、枝を切りつめられて枯れかかったような、銀杏の古木があり、赤い鳥居が立てられ、小さな祠が祭られている。時には狸大名神と書いた赤いのぼりが立っていることもある。近寄ってみると「狸名はおさんと呼ばれ月おぼろ 一貴」と刻まれた伊予市の俳人、門田一貴の句碑も立っている。ここには、今は見るかげもないが、昔は、枝葉が広がり茂って、遠くからでも目印となった大銀杏がそびえていて、おさんという狸が住んでいた。狸は、昔、阿波(徳島県)に多かったが、伊予にも伊予の八百八狸といってたくさんいたという。近くの松山でも、荏原の金平狸・八股のお袖狸・六角堂狸などたくさんいたそうだ。
おさん狸が住んでいた大銀杏の木の辺りは、ほとんど田んぼで、家は、ほんの二、三軒しかなかった。そのころ、町の若い衆(青年)三人が、夕方そこら辺りの川へうなぎ取りに出かけた。ところが、夜おそくなっても、いっこうに帰ってこない。家の人が心配して探しに行ったら、この若い衆たちは、うなぎ取りの道具を持つたまま、大銀杏の木の回りをぐるぐる回っていた。
「どうしたんぞ。」
と、肩をたたいてやると、
「ありゃあ。」
といって正気に返った。これは、おさん狸に化かされていたので、ほっといたら朝までぐるぐる回っていたことであろう。
このおさん狸は、銀杏の木の枝にもよく化けていたので、ここら辺りの田んぼで働く人が弁当などを、ちょっとその枝にかけておこうものなら、いつのまにか中味が空になっていたこともよくあった。
人をからかうことも大好きで、近くの梢川が大雨で、たくさん水が出たような夕方には、大きな鯉に化けて、川のふちの道でばたばたはねて見せる。通りかかった人がそれを見つけて、大喜びで手を出すと、その人の手をバシッとしっぽでたたいて逃げたりしたという。また、財布に化けて道ばたにいたり、お化けになって、妙な音を出して人をびっくりさせたりすることもあった。町の人は、特に子供たちは、夕方になるとこの木のそばを通るのをこわがったが、どこか間が抜けていたので、案外に親しみを持たれたのではないだろうか。夜になって、町から村へ帰る人の中には、
「おさん、化かすなや。」
「はよ、寝えよ。」
などと、声をかけて通る人もあった。
病気の人とか、なくし物をしたりした人とかが、おさん狸の所へ頼みごとに行くと、病気がしだいによくなったり、なくし物がひょっこり出てきたりしたともいう。
今も、この小さな祠の前には、果物やお菓子・油げなどのお供えがしてある日もあり、毎日ちゃんとお参りする人もけっこういるようである。