データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

一、 幕府・藩の統制

 幕府の農民統制法の代表的なものとしては、「田畑永代売買禁止令」(寛永二〇年=一六四三)、「慶安の御触書」(慶安二年=一六四九)、「分地制限令」(寛文一三年・延宝元年=一六七三)などがある。このほか寛永二〇年頃から「作付制限令」が出されている。いずれも税負担の中心である本百姓の経営を安定させることが目的であった。なかでも、「慶安の御触書」は幕藩体制社会における農民統制の基本法令で、それまでに出された諸法令の集大成であるといえよう。
 「慶安の御触書」の正式名称は「諸国郷村江被仰出」で、三二ヶ条からなる。幕府が農民に直接語りかけるという形式をとっており、幕府領はもちろん私領でも版本として広く流布した。一部の条文は時代の移り変わりによって有名無実となったものもあったが、幕末まで発布当初の精神が尊重された。
 主な内容は、幕府の法律を守り、地頭・代官を軽んずることがないように、小百姓は名主(大洲領では庄屋)・組頭を本当の親と思え、名主・組頭は小百姓を大切にして年貢皆済を一番大事な仕事と考えるように、というくだりから始まり、勧農・勤勉・節約など日常生活の心得から家族関係への干渉にまで及んでいる。
 農民は耕作に精を出し、田畑の植付け・草取り・鍬入れ、あぜに大豆・小豆を植え少しでも作物を多く収穫すること。朝は草を刈り、昼は田畑の耕作にかかり、晩には縄をない俵を編み、それぞれの仕事を怠りなくやること。正月一一日前に鍬・鎌の手入をすること。堆肥・厩肥の作り方から、雪隠を広く作りできるだけ有機質肥料を田畑に施すよう指導している。食生活については、いつも食料の乏しい一月から三月時分の気分で食物を大切にするよう、麦・粟・稗・菜・大根などを作って米を多く食い潰さないようにと諭し、美人であっても亭主をおろそかにする遊び好きの女房は離別するように、不美人であっても、子供をたくさん生み、よく働くような女を女房にすべきである、と家庭生活にまで干渉している。そのほか牛馬飼育・法令違反・盗賊・木綿の衣服・商売心・奉公人・農間稼ぎ・独身百姓の介抱・相互扶助・親孝行など、非常にことこまかに規定している。煙草については当初禁止していたが、次第に庶民に喫煙の風習が広まったため、文政年間に発刊された「慶安の御触書」版本では、制限が解除になった旨を明記している(伊予市上野玉井家文書)。
 この御触書は、年貢の村請体制のなかで、庄屋・組頭など村役人層を掌握しながら、五人組と呼ばれる相互扶助・年貢納入・防犯の連帯責任組織を指導する農民教化法であったといえよう。