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中山町誌

四、 終戦その後

 終戦によって日本は連合軍の占領下に入り、軍隊は解体して明治以来の兵事史に一応の終止符を打った。
 昭和二二年五月三日、日本の非武装を規定した新憲法が施行され、日本国民は軍備の放棄を行った。しかし、世界の冷たい戦争はやがて日本に「警備予備隊」を創る要素となり、それは保安隊に変わり、さらに自衛隊となって軍備が充実されることになった。
 日中戦争から太平洋戦争で、中山町からも多くの戦没者を出した。後に残された遺族はそれぞれに英霊の供養をしていたが、二六年九月サンフランシスコ平和条約の調印によって、翌二七年春の彼岸頃より町村主催の慰霊祭が行われ、その後毎年春、町主催の慰霊祭が続けられるようになった。