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中山町誌

一三、 製材業

 製材業は、われわれの生活と密接な関係にある住宅用建築資材を主として供給しており、木材産業における重要な位置を占めている。
 動力機の発達するまでの建築用挽材や板材は木挽によって大鋸・手斧・はつり等で製品化されていたが、動力機の発達によって地域での協同購入や、移動製材を業とする者が現われ、動力機と丸鋸台を山林伐採現場や、建築現場などに移動して製材を行うようになった。
 その後、道路の開発と電動機の発達に伴ない、木材を平地まで搬出し製材所で製品化されるようになった。
 本町の製材所開設は、昭和七年(一九三二)頃森岡品吉が現中山町役場東側に創業したのが初めと思われる(栃谷区宮下繁行談)。続いて亀岡製材が創業し、又昭和一六年一〇月現中山高等学校の場所へ重松定雄が製材所と木工所を開設した。従業員は森岡製材所一五人、重松製材所二〇人程度であった(重松稲三郎談)。
 製材所は戦争中軍用材を、戦後は戦争復興建築用材の供給で活況を呈し、特に戦後は本町内で七工場が操業し盛況であった。
 昭和二四年頃から製材業界をとりまく経営環境は厳しくなり、経営の効率化を図って大規模化するものと、工場を閉鎖するものに分かれ、重松製材は昭和二七年五月に、森岡製材は同三三年松山市へ移転していった(森岡定行談)。
 昭和四〇年代以降における本町の製材業の状況は表2-17のとおりである。

表2-17 中山町における製材工場の推移

表2-17 中山町における製材工場の推移