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中山町誌

三、 信仰

 本町における民間信仰は、古来からそのほとんどが仏教を中心とした信仰である。中山間の農村にしては比較的天与に恵まれ、天災地変の少ない平穏な土地柄で、生とか死に対する切実な苦しみや悩みが少なかったためか、また、宗教家の民衆に対する宗教観・人生観の指導教化の不足からか、全般的に他と比べ宗教自体への信仰心はやや希薄のように思われる。
 しかし、温良純朴な気風は伝統的に敬神崇祖、奉仏崇祖の念篤く、氏神を中心とした祖先崇拝の信仰、仏教の経典・仏像を礼拝する信仰が古来から民衆の心の救いとして行われてきた。戦乱の打続く世相混乱の時代には、時の権力によって信仰の対象も多少の変化があり、権力に対しては忍従し、あきらめやはかないまじないの信仰に心の救いを求めていた。江戸時代以後、民衆もまた安定した世相の下に氏子関係・檀家関係などの神仏との深いつながりが確立され、この頃より仏教を信仰する集団として大師講・地蔵講・心経講その他がある。
 講には、信仰を同じくする者の集団を指す場合と経済的な相互扶助を目的とする契約講を指す場合もある。経済的な講も宗教的な講を基盤として成立したものが多く、講が宗教的結社としての性格を持つ時は講社とも称しその講構成員を「講中」とか「講仲間」ともいう。経済的相互扶助の講に「頼母子講」があり現在でもわずかに行われている。元来講というのは奈良・平安時代に仏典を講ずるための集会の名称であったといわれる。日本には古くから宮座のような強い信仰的な組織があって、それを仏教的な講組織を成立させることに影響を与えている。
 いわゆる「講」が大衆信仰の代表的なものとして各所に作られ、講を中心としての信仰が深く民衆の中に浸透し彼等の人生観を指導してきた。現在は核家族化が進み、高年齢化・過疎化の追い打ちで講組織が崩れ、わずかに寺院主導の講組織が取り行われているにすぎない。

 大師講
 古くから行われた大衆信仰の代表的なもので、弘法大師の徳を慕い、その趾跡を巡拝し、その功徳を得るものであり、大衆信仰に与えた影響は大きく、本町でも春秋二回の大師忌には各所の大師堂や地域内に配した八十八ケ所霊場を巡拝、参拝者には各所で飯米やうどん・湯茶の接待が行われた。
 昔、庶民は本四国巡拝などは不可能であった。その人達のために大正時代に入り本町においても各礼所の本尊を石に刻み、一番から順に各所に安置し、一日でもって全礼所参りが出来るよう、いわゆるミニ四国八十八ケ所霊場設立が盛んになった。出渕では盛景寺に大師堂を建立し、ここを一番礼所として始まり門前部落内に礼所を配し設立、中山地方では永木に、また高岡・柚木方面各所に霊場を設立し、町内はもとより大瀬・立川村からも多くの参拝者があり、接待・出店もあり賑わっていた。
 最近、特に昭和四〇年代以降、車時代となり、一五日程度の旅程で本四国巡拝バスが走るようになり、古来よりのミニ四国巡拝はほとんどなくなってしまった。
 秦皇山観音堂にも登山路に沿って、八十八ケ所と西国三十三ケ所霊場が明治時代に設立されていたが、登山道路の新設により登山者もなく、昭和五九年に山頂の観音堂表に集められた。盛景寺の西国三十三ケ所観音霊場(明治一九年設立)も昭和五九年の境内地拡張の際、山門の前に移転された。現在わずかに心ある信者によって大師講は支えられている。昭和六〇年代信者達の助力で中山地区の礼所が整備再興され、春秋巡拝者で賑わっている。

 地蔵講
 古来から各部落の人口や部落の境界には、部落の安穏を願って地蔵菩薩(六地蔵さん)を祀り、夏八月には地蔵盆として講が行われていた。
 本町でも、泉町一丁目と三丁目の防火地蔵を祀っている。昔町筋のほとんどを焼失する大火があり、その後、町組で防火地蔵を勧請、地蔵講を組織、毎年八月二四日地蔵盆には子供角力を奉納、町あげての地蔵講が江戸時代より続けられている。

 心経講
 仏教の教典般若心経一万巻を奉読信仰する講で古来より盛んに行われている。
 この講はもと大般若会といって、寺やお堂、または個人の家を会場にして、新正月・旧正月に家内安穏を祈願する行事で修正会と称し、大般若経六〇〇巻を大勢の僧が声高らかに転読祈祷していたものである。最近は寺院以外では行われなくなり、それに代わる心経一万巻奉読会が盛んとなっている。
 秦皇山観音堂信仰会 大正一三年設立 会員五〇〇名
 高岡信仰会    昭和一三年設立 会員一〇〇名
 盛景寺心経会   昭和二九年設立 会員 七〇名
 大興寺心経会   昭和三一年設立 会員 七〇名
 この他、部落単位で住民が集まり般若心経奉読や念仏を唱える念仏講も行われている。

 龍王講
 水を司どる守護神八大龍王神を信仰する講で、地域の家庭の主婦に信仰者が多く、春秋二回の講が行われ多くの信者を集めて盛んである。
 盛景寺八大龍王講 昭和三四年設立 講員四〇〇名
 永木龍王講
  永木地区で古来より行われる

 堂施餓鬼講
 各部落には必ず部落堂が建立され、本尊さまとしてお釈迦さま・お薬師さま・地蔵さまを勧請、組全体の守本尊として祀り、このお堂を中心に信仰を深め維持管理している。特にお盆には組中が集い、組施餓鬼講の法要が行われる。僧の読経や講員の念仏が唱えられ、先祖や新亡の慰霊に盆踊りなどが行われている。

 詠歌講
 古来から、ご詠歌は広く奉詠され一般民衆に親しまれた講である。お経とは違って大変わかりやすい言葉で節かれ、訳のある音楽的な要素もあり、最近女性の講員が多くなっている。
 明治・大正時代には真言宗の大和流・金剛流が四国巡拝者の間に広まったが、現在は盛景寺の花園流、大興寺の梅花流に限られ、盛んに奉詠され、寺の諸行事には欠かせない講中である。
 このように、戦後信仰心が薄れたとはいえ、各講の信仰者が先人の教えを受けつぎ、わずかながら大衆信仰の先達として精進努力して、寺院の住職も率先して民衆の中に入り、心のよりどころとして求める各種の信仰を正しく指導隆盛にすることが望まれる。