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久万町誌

2 農業構造改善事業 ①

 ア 農業基本法制定のあとさき
 農林漁業基本問題調査会は、日本農業の基本問題と基本対策について昭和三五年六月総理大臣に答申した。新農村政策以来、農業の「まがり角論」で迷っていた時だけに、関係者に大きな期待と関心を呼び起こした。
 久万町でも直ちにこの問題に手をつけた。すなわち愛大文理学部助教授若林秀泰、同農学部助教授岩谷三四郎、県農政課技師高岡栄治を講師団に委嘱し、各地区から二〇名の精農家を選んで、久万町農林業基本問題研究会を結成し、昭和三五年九月に発足させた。同年一一月には合併前旧川瀬村の農業振興計画に貢献のあった島根農大教授安達生恒を迎えて、全町検討会を開くなど積極的な動きを始めた。
 政府も調査会の答申を受けると、ただちに西欧先進国の例を参考にして、農林漁業の基本法を三五年通常国会に提出、翌年六月国会を通過した。当時、この法案については、野党である社会党、民社党においても、それぞれ独自の基本法案を打ち出して世論に訴えるなど積極的な活動がなされたためジャーナリストは、この国会を農基法国会だと批判したほどである。
 ところで、町の研究会も検討を重ねるに従って、将来の自立農林家育成、あるいは、農林業を地域の主要産業として発展させるために、林業の問題を重視する必要があるが、林業問題については、基礎的な問題がほとんど理解されていないことから、町長は、愛大農学部助教授岩谷三四郎の援助を受けて、農学部長岩城鹿十郎に、久万町の林業総合調査を依頼した。
 イ 林業総合調査の実施
 農学部林学関係の研究室でも、地方大学として地域の問題と直接かかわり合いのある調査研究に関心を寄せていた時だけに、久万町の要請があると、ただちに林政学・森林経理学・木材理学・造林学・農学部経営学の研究室が総合調査団を編成した。
 各研究主任調査員として、猪瀬理・森田学・山畑一善・金子章・岩谷三四郎の各教授・助教授、それに助手・講師を合わせて総員一三名が、二年の歳月をかけて、久万町の林業に科学的な見地からメスを入れたのである。
 なお、この調査には地元側として、久万・川瀬・父二峰の各森林組合、中野村・二名の林研グループと、個人では岡譲・秋本富栄・秋本通行・成川実等が積極的な協力援助を行った。
 この調査は、全国的にも例のない貴重なものとして、各地の大学、研究試験機関から報告書の要請があった。また、昭和四○年には、県下第一回の林業構造改善事業(森林組合の項参照)の基本理念として引き継がれることになった。
 ウ 農業構造改善事業の計画
 農基法制定により、政府は、昭和三六年を起点として、一〇か年計画をたて全国三五〇〇の町村に平均一億一〇〇〇万円の予算を組んだ。そして各地の構造改善対策事業を順次行うことにした。そこで初年度には各県とも一~二町村をパイロット地区に定め、これを標本として一般町村の事業を始めることにした。
 久万町は、県下で最初の一三市町村、一般地区の指定を受けた。町は、昭和三七年四月産業課内に企画室を設け、専任職員四名を配置し、昭和三五年に発足した基本問題研究会を、農業構造改善事業協議会に発展的に改組し、計画樹立に取りかかった。
 農業構造改善事業は、各町村ごとに、将来の農産物の需給を考え、主幹となる作目を選び、生産性の飛躍的向上を目途として、土地基盤整備、これに伴う大型機械、施設の導入、経営規模の拡大による自立農家の育成を図るというものであり、全町村的な立場から計画をたてるとともに、重点地域(営農集団)を選定し、展示的な拠点を作る計画であった。
 そこで、この事業を進めていくうえには、どうしても主幹作物の選定が必要であった。
 久万町では、昭和三五年に発足した研究会が、たびたび研究を重ねた結果、米・畜産・木材を柱にして、たばこ・抑制(夏出荷)野菜を補完作物と決定していた。しかし、畜産については、乳牛か和牛かで意見がわかれたので、愛媛大学・県経済農協連合会・畜産会などの指導を受けたり、先進地の調査を行ったりして研究を続けた結果、和牛の飼育におちついた。
 当時、一三○頭を数えた乳牛も、翌三九年を境に、崩壊する運命をたどったのであるが、これは、町が選択作目から乳牛をはずしたことが原因であったのではなく、三八年春の豪雪や、酪農経営内部の矛盾によるものである。
 そこで選択作目も決まり、林業総合調査も終わって、町の構造改善計画が具体的にまとまったのは三九年二月である。その骨子は次のようなものであった。
  一、町の農業粗生産額の七割を米が占めているが、投下労働力が極めて高いこと。(一〇㌃当たり二一・六人)この労働力を半減させるために、水田の根本的改良を行う。
  一、現在の農家も、将来、農業と林業の複合経営を基本としなければ、自立化は困難である。
  一、年間の労働配分、山麓草原地帯及び畑地、水田の裏作利用、土壌改良という観点から、肉牛の多頭飼育を行う。
  一、久万町の選択作目は、米・和牛・林業を主幹作目とし、補完作目をたばこ・抑制野菜とする。
 以上四点を全町の基本方針と定めた。今度の構造改善計画は、次のとおりである。
  一、一団地二〇㌶以上の水田の区画整備を行い、大型機械の導入を図る。
  一、水田の余剰労働力を町の選定した主幹作目、及び補完作目の生産拡大に向ける。
 以上の決定事項について各地区で説明会を開催し、希望地区をとりまとめた。その結果、東明神地区の中組・本組地区と、直瀬地区の仲組地区、畑野川地区の中村・上狩場地区(ナベラ地区)に、一応の意思表示があった。しかし、関係農家全員の意志が一致するまでには、その後一か年、夜を徹しての話し合いと、誠意をつくしての説得工作が続けられたが、直瀬地区は初期において、辞退の申し出があったので、結局、二地区に決定した。
 当時、農業構造改善事業は零細農首切りにつながるとか、生体実験だとか、革新陣営からきびしい反対論が出て、発達したマスコミの力を利用して、末端まで浸透していった。そのころ、愛媛県では、パイロット地区に指定した東宇和郡宇和町が、途中で一部反対農家のために流産したことの影響も手伝って、関係者の間には重苦しい空気が流れていた。
 結局、畑野川地区の一部は、工事着工後において地区有志の斡旋により事業参加を申し出るといった状況で、かつて農業政策実施のうえで、これほど物議をかもした事業は他に例をみることができない。
 反対の理由としては、さまざまな事柄かあげられるが、その中でも農家の一般的な考え方は、収量主義とでもいうか、単位面積当たりの収穫増加についてのみ、高い関心をもっているだけで、労働生産性対策のための土地改良という今までに経験のない計画に対しては、充分に理解し得なかったし、共感を呼ぶというところにまではいかなかった。また一面には、農村社会特有の固定的人間関係のひずみと感情のもつれがあったとも考えられる。
 エ 事業の実施と農協合併
 農業及び林業構造改善対策事業の推進は、まず、組合(農協・森組)の合併問題がその前提条件である。町村合併以来協議を続けていた五つの農協、三つの森林組合合併について、町行政の立場から、県当局に指導の強化を要請するとともに、構造改善事業の一環として積極的に手をうち、組合内部の盛り上がりと結んで、農協は四〇年四月、森林組合は、四一年三月に円満合併を達成した。こうして、名実ともに構造改善事業を事業主体として推進した功績は、県下に例のないものであった。
 特に、農業構造改善事業の場合、大型の土木機械を駆使しての水田圃場整備事業というのは、郡内の、歴史始まって以来の工事であった。
 しかも、久万町のような棚田の地形で大区画の耕地整理を行うことは、技術的・経済的に種々の問題点があった。県や農林省の専門家の間でも、もし、久万町で水田の圃場整備がやれるなら、県内でもできない地帯はまずあるまいといわれたほどの難事業であった。この事業を未経験な農協が事業主体として採りあげ更には、トラクターをはじめ、コンバイン、ライスセンターなど、水田の大型機械や施設の導入、あるいは、協業経営の実験など、米作合理化の開拓に積極的な試みを行ったのである。
 オ 事業内容とその問題点
 圃場整備事業は、四○年一〇月より三か年の、年度分割継続事業で行い、初年度は、本明神地区から着手した。
 四○年度事業は、競争入札により、町内の沼田建設(代表者沼田建男)小田町大久保建設(代表者大久保通雄)、四一年、四二年度事業は、沼田建設の請負いで表のような工事が完成した。
 この事業の推進体制は、地元受益者と農協、町が一体となって組織した。
① 現場事務所
 現場事務所は明神・畑野川農協支所におき、支所長が事務長となる。町役場からは、現場監督として二名の職員を派遣した。また、受益者からは各工区ごとに一名宛の監督補助員を選任した。
② 工事施行委員
 受益者総会で施行委員(明神一〇名、畑野川一四名)を選び、委員長、副委員長を選任して、現場の協力体制を整え、重要事項はすべて総会にはかることとした。(表参照)
③ 事業推進本部
 町長を本部長とし、農協組合長を副本部長・管理・業務・資金・営農の各課長、役場の建設・産業・農地の各課長を本部員として総合指導に当たった。
 なお、團場整備の付帯関連事業として、次の事業も同時に行わなければならなかった。
  1、国有土地の処理ー圃場内の水路、道路敷地を民有地とし、新道路を、水路と入れ替える。
  2、電柱移転ー電々公社、四国電力、有線放送の電柱を移転する。
  3、水道配管移転ー町営上水道工事の配管移転
  4、町道つけ替え工事。
  5、農地の交換分合事業ー事業地区の農地を集団化し、受益農家数をとりまとめておくこと。           
  6、確定測量。
  7、換地計画ー完成した農地の配分及び登記。
 これらの付帯事業の他に、工事途中には、飲料水の使用不能・住宅敷地近辺の取付道・用地の買収・交換・仮道の設置など、数えきれない問題が次々と発生した。そのために担当者は、工事本来の問題よりも、問題処理、苦情対策に忙殺されるといった有様であった。
 特に、明神の場合、国道33号線の改修工事と、圃場整備の工事時期が重なった(実は積極的に並行させたのは町側の計画)ので、狭い盆地に、ブルドーザー、ダンプカー、および、土木労務者がひしめき合い、さながら戦場のごとき有様で、二つの工事の関連も多く、交渉の連続であった。
 しかし、建設省久万出張所長の好意ある措置によって、圃場整備は順調に進んだ。
 ともあれ、農地の改良、改革の中でも、水田の区画整備工事ほど複雑で問題が多く、かつ農家の関心が高かったものは、他にその例をみなかった。
 力 協業経営の導入
 農業構造改善事業は、単なる土地改良事業ではなく、整備された水田に大型農具を導入し、経営改革を促進することがそのねらいであった。前段で述べたように、久万町の場合も四〇年度から、二〇馬力の乗用トラクターを二台、畦畔自走ダスター一台を久万町農協の施設として導入した。
 これらの機械を運転し生産能率を高めるには、個別の零細規模のままではどうにもならなくなって、協業経営の形をとらざるをえなくなった。そこで再三にわたる協議の結果、換地計画も終わっていないではないかと意見が統一され、明神の場合は一年、畑野川の場合は二年の間、水田稲作の完全協業経営が行われることになった。
 協業経営の概要は次のようなものである。
  ア、受益農家全員協業の組合員とし、組合長、会計、庶務を選任して、組合を運営する。
  イ、作業は一箇班、六~七㌶を受け持ち、所属班員を定めて、班長を中心に苗作りから、収穫まで完全協業とする。
  ウ、協業に提供する農地は、工事関係農地とし、すべて均一の評価として地代配分の基準とする。
  エ、労働力は、各自所有反別を基本として提供し、労賃は、男女別区分以外を均一評価とする。ただし、トラクターの運転手は、農協の責任とする。
  オ、その他生産資材、農具など必要なものは、組合購入のものを除いて、各農家の持ち寄りとする。
 このような取り決めに従って運営されたが、全国的にも協業経営としては、非常に困難の多いとされている稲作部門の完全協業経営を導入したために、東明神はじゅうぶんな効果を挙げずにくずれていった。
 その理由としては、いろいろあげられているが、根本の問題は、耕作者自らの自発的な意志で出発したものでなかったということと、大小さまざまの雑多な経営が、工事の地区内のみを対象として、属地的に組織されたことがあげられる。しかも指導資料、参考事例にも乏しく、指導の責任体制が不備であったことが主要なものといえよう。
 なお、参考までに明神地区、ナベラ地区(畑野川)の初年度成績を表に記録した。

事業計画の概要  №1 水田ほ場整備計画

事業計画の概要  №1 水田ほ場整備計画


本明神地区事業施行委員

本明神地区事業施行委員


畑野川地区事業施行委員

畑野川地区事業施行委員


ナベラ地区協業経営分析表

ナベラ地区協業経営分析表


ナベラ地区協業経営収支決算書

ナベラ地区協業経営収支決算書


本明神地区協業経営分析表

本明神地区協業経営分析表


本明神地区協業経営収支決算書

本明神地区協業経営収支決算書


年度別事業実施状況(その1)

年度別事業実施状況(その1)


年度別事業実施状況(その2)

年度別事業実施状況(その2)


久万町上直瀬地区(昭和45年度認定、昭和50年度完了) 1

久万町上直瀬地区(昭和45年度認定、昭和50年度完了) 1