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久万町誌

1 治安の概要

 戦国時代の治安は、その土地所有者にとって、自領の守りを主体としたものであって、立憲・司法・行政の三権ともに領主の独裁によって行なわれていた。領主も藩制のような大きなものではなくて、各地に群雄割拠して小さく分轄されていた。現久万町の地域では少なくとも一〇人の領主がいたようである。領民は半武、半農であったから領主の思うままの政治が行われた。生も死も領主の意のままであった。しかし、領主もまた民の協力がなくてはなり立たなかった。したがって領主と住民は不即不離の存在であった。
 徳川の世になってからは、父二峰・下野尻を除いた久万山は、松山藩に属して、大藩の藩主に治められていた。これまでの小さな領主は敗軍になって野に下り、武士ではなくて百姓の長の形で地方を治めていた。地方行政官である代官の命に従って治安も担当した。百姓は五人組頭の制度によってお互いを監視し、もし罪人が出ると一家はもちろん、五人組全員の責任となって、重い罰を受け、時には土地に住めなくなるようなこともあった。このような制度は住民の権利を守ったものではなく為政者の特権を守るだけのものであった。