データベース『えひめの記憶』
久万町誌
二 教育委員会の発足
教育委員会制度の趣旨は教育行政の民主化である。戦前の教育行政は、文部大臣を頂点として地方長官(知事)を通じて行われていたが、戦後積極的に教育行政を民主化するために、住民の公選による合議体としての委員会制度を採用することとなった。
教育行政の地方分権である。従来の中央集権制度による画一性、形式性を是正し、地方の実情に即した教育の管理運営を徹底するためには、教育行政権の地方委譲をはからねばならない。本制度では、地方における教育の管理、運営は、第一義的には都道府県、市町村に設けられる教育委員会が行うこととしている。
教育行政の自主性の確保である教育が、一部の利害関係や特定思想などによって独占されたり、わい曲されることがあってはならない。教育のこの特質性が保障される教育行政制度を確立しなければならない。そこで教育委員会は数人の委員からなる合議体の機関として組織され、独立の執行機関たる地位を有することとしている。
以上のような趣旨のもとに、教育委員会の組織及び権限が定められ、漸次全国の市町村にまで教育委員会が設置される体制がとられた。この制度は、従来の上から下に通ずる教育行政制度に根本的変革をもたらし、重要な役割を果たすことになった。
昭和二三年七月一五日に教育委員会法は公布施行され、第一回目の教育委員の選挙が同年一〇月五日に行われた。一一月一日から全国の都道府県、五大市のほか、二一市、一六町、九村においても教育委員会が発足した。
また昭和二五年一一月五日、第二回目の選挙が行われ、同年一二月一日には、新たに一五市において教育委員会が生まれた。教育委員会発足後二年の間に、教育委員会制度の基本理念やその役割が次第に認識されてきたが、我が国にはじめて採用された新しい制度であるので、幾多の点に検討を加えなければならないことが意識され、論議されはじめた。
文部省は、教育委員会制度に諸種の改革を必要とする点があることを自覚し、昭和二五年一二月、文部大臣の諮問に応じ教育委員会制度につ いて調査審議し、これに関して必要と認める事項を文部大臣に建議することを目的とする教育委員会制度協議会を設けた。同協議会は、文部大臣の諮問に応じて、昭和二六年二月二八日以来、教育委員会制度について調査審議を行い、同年一〇月三一日、これに関する答申を行った。
昭和二七年一一月一日を期して、すべての市町村に教育委員会が設置されることになった。この結果は、教育行政の単位を細分化することになったが、一方においては、地方自治の理念に立脚した教育行政制度が外形的に実現され、それぞれの地方公共団体の教育事務が、教育委員会の手によって処理されることになった。市町村に教育委員会が設置されるまでは、教職員の人事、教育課程に関する事務は、都道府県の教育委員会が処理していたが、教育委員会が全面的に設置されることになり、市町村立学校の管理運営をはじめとする教育事務を、名実ともに市町村の教育委員会が担当することになった。
また、文部省は、教育委員会の全面設置以後はその運営状況をじゅうぶん見きわめた上で必要な改革を行うべきであるとし、当面の問題として、教育委員会の健全な育成に力を注ぐとともに、改革の具体的な方途の研究を進めた。その後昭和二九年六月一〇日、公職選挙法の一部を改正して、教育委員の二年ごとの半数改選の制度を四年ごと全員改選の制度に改めた。この結果、昭和三一年一〇月五日に全員一斉に改選されることとなった。