データベース『えひめの記憶』
面河村誌
(七) 鉱物資源
古い書物によれば、日向押峠(鉱主門屋秀一郎)・大成(鉱主阿部貞松)・草原(鉱主田坂藤原)・大味川(八束彦太郎)の鉱山があって、銅鉱を産出した記録が残っている。また、金山谷(鉱主一田宗十郎)でも試掘した廃坑が残っている。
なお、菅生(久万町)・広田(伊予郡)・大瀬(喜多郡)の銅山も、明治から大正時代にかけて一時、隆盛を極めた。また別子(宇摩郡・一六九〇年住友吉左衛門発見・一九七三年閉山)は、足尾(栃木県)とともに、国内屈指の銅山であった。
久万川流域には、石灰岩が露出したところが各所にあり、下野尻・二名・御三戸で明治の終わりごろから大正・昭和にかけて、石灰岩を焼き、石灰を製造していた。
石材も、安山岩・雲母安山岩から、墓石・土木石材として久万町で現在でも若干採石している。