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面河村誌

七 新憲法と地方自治

 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本国憲法が施行され、同じ日に、地方自治法が公布された。これと同時に、これまでの町内会・部落会の解散に関する政令公布実施された。
 憲法第九十二条には、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律でこれを定める。」とある。
 地方自治法第一条には、「この法律は地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め」とあるほか、第二条では「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基いて、これを解釈し及び運用するようにしなければならない。」とある。したがって、国会といえども、地方公共団体の組織や運営に関する事項については、地方自治の本旨に基づかない限り、法律を制定することができないのである。
 地方自治の定義を「一定地域住民が、その地域の上につくっている社会の施設を、自主的に行う原理と制度である。」と定めるならば、憲法の「地方自治の本旨に基づいて」という規定は、この自主性を保障する原理を明示したものである。
 けれども、地方自治の区域は、国全体の一部を形成し、地方住民は同時に国民であるわけで、国の全域に共通して定められている政策から、完全に独立した自治権を、地方公共団体が有しているとはいえない。例えば、小・中学校教育の年限、貨幣の基準などである。その反面、たとえ国レベルで決定された政策でも、地方公共団体で定めた判断の方が、住民や国民にとって、適切な措置である場合も否定できない。公害発生源に対する規制などである。
 このように見てみると、いわゆる「地方自治体の本旨」の意味は、単に「国が先か、地方が先か」といった、二者択一の論理では割り切れないものである。そこで、憲法制定の時点における「地方自治の本旨」の立法理由を検討してみたい。
 その一つは、過去の日本における、過度の中央集権に対する糾弾である。昭和二十二年(一九四七)十二月、明治以来七十五年にわたり、地方行政に君臨した「内務省」を解体した。行政のみならず、国内経済のあらゆる面を、かつ、また思想までも統制し、家庭の日常生活までも支配し、府県知事を任免し、市町村長を規律し、財源を掌握分配する権力を持ち、「官僚政治」という言葉は内務省を意味していた。憲法が地方自治体に大幅な自治権を与えることにした有力な理由はこの点である。
 その二つは、日本における民主主義の推進力として、果たすであろう地方自治への評価である。
 かつては、日本の地方自治体は、その権限に法律上の制限も定義もなかった、中央政府によって監督されていた。新憲法の下では、地方公共団体は、その長、議会の議員及びその他公職者を選挙する保障、法律の範囲内で地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、行政を執行し、条例を制定する権能を保障されている。
 つまり地方公共団体の運営に、住民が参加する椎利をもつことである。「リコール制」「国民発案(イニシアティブ、レファレンダム)」も、民主制の新しい有力な手段の一つである。
 昭和二十年十二月、婦人の参政権が認められた。
 昭和二十二年四月、日本民主主義の前提条件として、最初の統一地方選挙(県知事、市町村長、地方議会議員)が行われ、愛媛県初の公選知事として青木重臣が選ばれた。
 面河村長には高岡直雪が無投票で第二十三代村長に就任した。面河村議会議員には、松本米一ほか一五名が当選した。
 愛媛県会議員には面河郵便局長菅広綱が上浮穴郡地区(定員二人)から当選、本村としては初めての県議会議員である。