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美川村二十年誌

第一節 財政の概要

 決算を見て、その村なり町なりの財政力の強弱を知るためには、経常収入率、つまり毎年繰り返して収入されるものと、毎年義務的に繰り返し支出されるものを比較して、収入が支出を超える状態にあればその財政力は強いと見てよく、逆の場合は危険信号と見て差支えない。
 美川村について昭和三〇年以来、各年における歳入と歳出、そして歳出はどの様な事業に投資されたものであるか、その主なものを記し、さらに新たに生まれたもの或は廃止されたもの、特異なものについて記してみよう。
 全体を通じて言える事は毎年黒字決算であること、村税の伸びはその額において伸長しているようであるが、物価指数など経済的成長率からいうと実質的には減額に等しく、収入の最たるものは地方交付税であって、交付税こそ本村財政の唯一の支えである。また最近村債が急速に増加しているが、これは主として辺地債と過疎債である。辺地債というのは、「辺地にかかる公共的施設の総合整備のための財政上の特別措置等に関する法律」に基づいて借入れができる村債のことであり、また過疎債というのは、「過疎地域対策緊急措置法」に基づいて借入れる事ができる村債であって、この辺地債はその年の元利償還金の八〇%、過疎債は同七〇%が地方交付税で村に還ってくる仕組のものである。この両村債は昭和四〇年以降における本村の大きな財源となったものである。
 辺地債の対象事業は、①電燈用電気供給施設、②道路及び渡船施設、③小学校、中学校の児童生徒の通学用自動車及び寄宿舎、④診療施設、⑤飲用水供給施設、⑥前各号に掲げるものの外政令で定める施設であり、この政令で定めるものの中には、有線電気通信施設・農道及村道・教員住宅・学校給食施設設備・義務教育用体育音楽及び社会教育のための施設・公民館その他の集会施設・保育所及び児童館・老人福祉施設・母子健康センター・消防施設・住民の交通の便に供する自動車除雪機械・その他、農林漁家の生活改善・産業教育・保健福祉の増進のために必要な施設等が含まれる。村の実情によってこれらの総合整備計画を樹て、その中に含まれたものを貸付の対象としようとするものである。
 また過疎債は過疎地域の解消に役立つと思われる次の事業が貸付対象であった。
 ①交通通信施設、②学校・診療所・老人福祉・集会・厚生・医療等に必要な施設、③農林道の整備、その他産業基盤整備上必要な施設、④農林業の近代化のための施設、⑤企業の導入、⑥観光施設、⑦産業の振興と雇用の増大のためのもの、③基幹集落の整備、⑨地域社会の再編成、などであり、この計画ができると知事と協議して、自治省等の認証を得る事としたものであった。本村としてもこれら関連事業を網羅して辺地対策総合整備計画、続いて昭和四四年、美川村過疎地域整備計画を樹立した。
 昭和四〇年、観光事業特別会計へ村債一〇〇〇万円を起したのを皮切りに、順次村債が伸びたのもそれであり、その後沢渡線を始めとする村道・農林道を始め、土地改良事業も、山村振興特別開発事業も、林業構造改善事業も、観光開発事業も、集会所も、給水施設も、おおよそ前記起債対象事業の範囲に入るものはすべて、この財源に頼って施行されたものである。
 因みに昭和四八年度の事業費の財源内訳は、
 対象事業費  一五、一一四万四〇〇〇円に対し
 国県補助金   七、九〇一万三〇〇〇円
 村   費   七、二一三万一〇〇〇円
        内、辺地及過疎債 六、三四〇万円
          純 村 費 八七三万一〇〇〇円
          受益者負担金 七八二万一〇〇〇円
で、総事業費に対しその年の純村費は四、二%弱であった。
 一,〇〇〇万円かりると二〇〇万円または三〇〇万円と必要な利子だけ償還すれば借金は帳消しになるものである。なおまた特別会計では三〇年頃は国民健康保険会計だけであったが、その後、農業共済特別会計・観光事業特別会計・し尿処理事業特別会計・ごみ処理事業特別会計等が新設されたが、農業共済事業特別会計は昭和四六年上浮穴農業共済組合の発足によってこれに統合し、各町村のものは廃止された。
 また村税については、合併以来さしたる滞納もなく、最近では村内挙って完納されている。これは昭和三二年に発足した納税組合の活発な活動と、納税補償金制度を採用したため組合内の連帯責任制が暗黙の促進剤となったものであろうか。納税報償金とは、納税組合毎に取りまとめて納入し若し一人でも滞納者があると削減されるものである。組合数は発足当時は六三組合であった。その後、有枝上谷部落が住民減少によって解散し、現在では六二組合となっているが、今もなお納税組合長(組長が兼務)を中心に活発に活動が続けられている。
 以下、一般会計に重点をおいて、合併後の各年別の収支と主要な事業等を拾って見ることにする。
 はじめに一言ふれておきたい事は、昭和三八年に財務会計制度の大幅な改正がなされて予算決算の様式も様相が一変したことである。かりに昭和三八年度までは役場費という款があって人件費等はこれに組まれていたが、その後、歳入は性質別に、歳出は目的別に組む事になったので、概ね各課ごとに人件費も組まれる事になった。例えば農林水産業でも、農業総務費と言う目があって、そこに人件費が組まれる事になったので、すべての款の中に「何々総務費」と言えば主として人件費であると解釈して差支えないと思うので村の予算決算を見る上での参考にしてほしい。そんなわけで昭和三八年までとそれ以後は異った名称が使われることを心得ていてほしい。