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柳谷村誌

第二章 柳谷人の足跡の区分

 柳谷人の旅の足跡を、四つの時期に区分してみる。
 第一の時期は、この柳谷の大地を耕して、植物栽培を試みるいわゆる農耕期より以前の時期である。まだこの地に人々の住みつきのない時期である。人々はどこかの岩陰に生活し、毎日移動して来て、自然のえものを採集したり、捕獲したりして、再び岩陰へ帰ってゆくのである。この期を農耕以前不定住期とも、移動的採収生活期とも呼ぼう。
 第二の時期は、人類が大地に種をおろして植物を栽培する、いわゆる農耕という技術を発明してからの時期である。植物栽培のため人々は、一定の場所に住みつき、村つくりの郷びらきに入っての時期である。わが柳谷にも郷びらきが始まった。○山・○谷・○野・○村・○地などの地名がつけられたのは、おそらくこの時期であろうと思われる。人々は畑を拓き、田を掘って作物を作って食べた。社会のしくみもだんだん進んではゆくが、中央とわが柳谷の村里、柳谷ととなりの村里などの関係が、きちんと秩序立ってはいない。ただ作って食べるという時期で、この期を農耕的自給生活期と呼ぶことにする。
 第三の時期は、社会の組織も進み、中央と地方、地方相互の関係も次第に秩序立った時期である。わが柳谷では、村組織ができ、村人の唯一つの活動形態である農耕も、その封建的土地所有者と村人との関係がきちんと規律立てられた時期である。村里に○場・○着・○市・○立・○行など、村人の社会人としての行動の側面を現わした地名は、この時期に生まれたものと想像される。この期を農業中心という意味で、農本的封建社会期と呼ぶことにする。
 第四の時期は、社会が活性化する時期、すべてのものがダイナミックに動く時期である。個人も社会も封建制約から解放され、自由を求めてその個性を実現する時期である。総じてこの期を、流通的自由社会期と呼び、前期を工業化(通産化)社会期、その達成色を濃くした後期を、福祉社会化期とに二分割する。