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松山市

西村清臣(1812~1879)

 儒者。歌人。文化9(1812)年、松山城下(現、松山市)に生まれる。幼くして文武を学び、絵画、彫刻に秀で国学に造詣が深かった。特に和歌を好み、石井義郷を師と仰ぎ、江戸の海野遊翁(うんのゆうおう)、香川景樹にも学んで地方歌人として名を成した。ある時、「蟻を詠んだ長歌並短歌」を遊翁に送って添削を請うたところ、「萬葉集に入るとも愧ぢず」と嘆称された。義郷亡きあとは、藩内の和歌を志す者は皆、清臣の門をたたいたという。
 明治6(1873)年、京都の皇学所助教となり教務省から中講義に補せられた。西山の姥桜を詠んだ「かげ移る 朝日もはなの にほひにて ひかりまばゆき 山桜かな」は碑となり南江戸の山内神社の境内に、また吉平の孝心に感応して厳寒の正月に華を開いた「十六夜桜」の由来を記した碑文と短歌「つくしけん 人のまことを にほはせて さくかむ月の はつさくらばな」は、現在、御幸桜ヶ谷に建てられている。
 明治12(1879)年6月9日逝去68歳。墓は松山市御幸の千秋寺にある。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①山内神社の歌碑

①山内神社の歌碑

松山市南江戸5丁目13

②吉平屋敷跡の十六日桜

②吉平屋敷跡の十六日桜

松山市御幸1丁目(ロシア人墓地近く)

③孝子桜古蹟碑

③孝子桜古蹟碑

松山市御幸1丁目(ロシア人墓地近く)

④短歌と孝子桜の経緯が刻まれた碑

④短歌と孝子桜の経緯が刻まれた碑

松山市御幸1丁目(ロシア人墓地近く)