データベース『えひめの記憶』
西予市
徳山駒吉(生年不詳~1888)
生年不詳~明治21年(~1888)治水功労者。東宇和郡野村町の出身で前獄溝の功労者である。卯之町から宇和川にそって下がること40分、宇和川と稲生川(渓筋川)の出会うところに大きな堰堤がある。それから左岸に水路がありいっぱいに水をたたえて流れている。これが前獄溝で、明治元年に完成したものである。この溝道を計画し、実地に測量し杭を打ちこんだのは徳山駒吉である。はじめは慶応3年工事に着手したが、難工事続きで大変な努力を要した。明治元年には藩主伊達宗徳もその完成をみに来て、米174石(4,350俵)を下さったといわれている。この水路のおかげで水田が新たに15ヘクタール開かれ、地方産業に貢献することが大きかった。明治21年10月3日死去。墓は野村町安楽寺にある。(『愛媛県史 人物』より)
①前嶽溝碑 西予市野村町野村10-263(慈眼堂境内) |
②前嶽溝百年記念碑 西予市野村町野村10-263(慈眼堂境内) |
③前嶽溝碑付近の風景 西予市野村町野村10-263(慈眼堂境内) |
④宇和街道の石橋 西予市野村町野村10-263(慈眼堂境内) |
⑤岡池由来之碑 西予市野村町野村9-53(野村病院南の道路沿い) |
⑥岡池跡に建てられた野村病院 西予市野村町野村9-53 |
⑦前嶽溝難所水没之碑 西予市野村町野村8-153-1(野村ダム左岸) |
⑧朝霧湖と野村ダム 西予市野村町野村8-153-1 |
⑨朝霧湖の風景 西予市野村町野村8-153-1 |