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西予市

片山萬年(1894~1970)

 明治27年8月16日東宇和郡中川村(現西予市宇和町)坂戸に生まれる。本名栄一。烏陵、一東、芦邨、何苦荘、萬年はその号。書家。大洲中学校から松山中学校に転校後中退。 17歳宇和町で書道教授を始め,、20歳過ぎるころ上京、日下部鳴鶴の食客となる。井上霊山主宰の雑誌「書道及画道」に「書道の科学的研究」を発表して注目を浴びた。
 大正14年大阪で中央書道会を主宰し公募展を開催。その後長尾雨山に招かれ平安書道会に参与するなど東西書壇で縦横の活躍をしてきたが、昭和4年を境に書壇の表面より引退、孤高の人をもって後進の指導に専念した。篆隷楷行草の各体を得意とし、その書は雄渾、宇和町誌は「独学新書境を開き,書聖中林梧竹の再来かと騒がれ、その書風は一時期全国を風靡した」と記している。
 戦後、松本芳翠から日展参加をすすめられたが固辞。昭和43年第二回芦屋市民文化賞を受けた。昭和45年1月18日75歳で死去。(『愛媛県史 人物』から)


①片山萬年先生顕彰碑

①片山萬年先生顕彰碑

西予市宇和町卯之町(宇和運動公園体育館の駐車場付近)