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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇博物館が、手漉き和紙産業を支援

内田
 博物館をお作りになって、地元の手漉き和紙産業を支援するという位置付けをされているようですが、もう少し具体的にお話をいただけないでしょうか。

野村
 実際に動いている手漉き和紙の工場は、高知県内全体でも実は40工場を割っておりまして、我々の伊野町内では10工場を割っているという、これは非常に残念なことなんですが、非常に厳しい状況でございます。やはり、なんとか残していかなければいけない。歴史あるものを残していく必要があると考えておりまして、博物館といたしましても、少しでもその一助になればという形で動いているんです。
 「紙の博物館」というネーミングは町の条例で付けているんですが、正式の名称は「土佐和紙伝統産業会館」と言いまして、もともとは伝統産業のための施設であるということです。
 先程もちょっと、和紙の加工品の販売について触れましたが、これは高知県手漉き和紙協同組合へ、販売を委託しており、生産者がじかにそこへ展示し、即、商品となって収入につながるような形をとっております。
 もう一つは、やはり歴史的なものについてであり、こちらは系統だって展示し、作り方を明示して、道具を置くということによって、手漉き和紙についての理解をしていただこうと考えております。

内田
 通常の博物館や美術館というのは、今おっしゃられた2番目のほうに、だいたい重点が置かれています。1番目におっしゃった、現在、手漉き和紙を生産されている方々の製品の展示・販売というのは、やはり伝統産業会館ならではのやり方だろうと思いますね。
 それで、お聞きしたいんですが、今生産されている和紙が展示されていることについて、地元に住んでいるけれども直接和紙には関係ない方々とか、遠隔地から訪れた方々の反応は、どうですか。

野村
 入館者の方は、全国各地・世界各地からお見えになります。だいたい年間に8万人(有料入館者数)、昨年はちょっと減りましたが、その前は9万人ぐらいでした。
 それで、紙の博物館の中をずっと御覧になって、先程申し上げた「現代の和紙」コーナーに行きますと、手漉きの和紙は全部揃っているわけです。ないものは、よそから持ってきてありますので、だいたい希望に沿えるような品物がある。「ここへ来れば、手漉きの和紙が手に入る。」ということで、よその方からも、地域の方からも、その点では評価されております。

内田
 たとえば、これは五十崎(いかざき)(喜多郡)で聞いたんですが、今は原料がなかなか手に入りにくい、しかも国内のものでは高いということで、五十崎の場合は外国から入れているというお話をされていたんです。こういう伝統的な手漉き和紙、その工場を援助していく場合に、その辺はどうなんでしょうか。

野村
 確かに今は、手漉き和紙といえども、やはり価格的な問題がございまして、あまり高く売れないという問題もあります。それで、全部が全部というわけではないんですが、染色して使う紙など用途によっては、外国産(主としてタイ産)のコウゾが使われていると思うんです。
 高知県の場合は、幸い仁淀川という川がございまして、石鎚山の近くまで行くと源があるわけですが、その流域が製紙原料でありますコウゾとかミツマタの主要産地でございまして、今でも高知県は全国への原料供給県ではないかなと思っております。
 ですから、例えば有名な画家の方が書かれる紙、(先程内田先生がおっしゃった紙本ですが)高級な紙本着色(*2)をする紙の場合は、決して外国のコウゾが悪いというわけではないんですが、やはり伝統的な高知県産のコウゾを使われているほうがいいというか、多いんじゃないかなと思っております。〔*2 絵を書く材料が紙の場合は紙本(しほん)着色、絹の場合は絹本(けんぽん)着色と呼ぶ。〕

内田
 そうすると、高知の場合は、現在でも基本的には県内で生産された原料に基づく手漉きと考えていいわけですね。

野村
 ええ。今言いましたように、ほとんどがそうなんです。ただ、コストの問題があって、染色している紙などは、純粋だとは言えないと思います。

内田
 その地域が、手漉き和紙(の生産技術)を持つことによって、どういう文化を育んできたかということについて、少しお話が聞けたらと思うんですが。

野村
 私、ちょっと調べてみたんですが、文化とは何かというと、人間が自然に働きかけたもろもろの歴史的な経緯、宗教的なもの、民俗的なものが文化であって、どうもその中には「産業」というのがありません。私は、どちらかと言うと産業の世界で仕事をしてまいりましたので、その点で、なかなか的を射た表現ができないかもしれませんが。
 和紙と文化のかかわりについて、まず、文化の一つの面、芸術的なことを考えてみます。たとえば、もともとのルーツは美濃(岐阜県)なんですが、土佐には典具帖紙(てんぐじょうし)という世界で一番薄い紙がございます。その紙を染色して、ちぎり絵を作られている女性の方々がおります。ちぎり絵というのは、全国的な流れがあるようでございますが、高知県内の各地でもいろいろとサークル活動的にやっておられます。また、愛媛県の砥部でも、非常に盛んに研究されて、私たちの博物館で展示をなされているという方がおります。また、たとえば表装する時の裏打ちとかにも、和紙は必要です。こういったところで、和紙が芸術の一面を支えているのかなと、そんな感じがします。
 文化のもう一つの宗教的な面はどうかと言いますと、手漉き和紙は現在はあまり使われていないかな。しいて言えば、神主さんが玉串(たまぐし)に使っている青と白の紙。でも、これは機械漉きですから、手漉きの和紙という点では、あまり的を射ていないかもしれませんね。

内田
 先程のお話では、伊野町の伝統産業会館では、生産された和紙や、その生産工程など、生産する側からの展示をしておられるということでしたが、今のお話にありましたような、和紙そのものを使っていろんな活動をされている方々の、作品とか成果というものは展示されていないんでしょうか。

野村
 いわゆる常設展示ということはスペースの関係でできないので、折に触れて、そういった作品を展示しております。元々、産業会館ですので、いわゆる美術館、ミュージアムという形で設計しておりませんが、ただ幸いなことに、2階、3階にホールがございますので、そこを活用して特別展という形でやっております。
 昨年の実績で申しますと、33回ほどやっておりまして、その中には愛媛県の方の作品展をさせていただいたケースもございます。

内田
 もう一つ教えていただきたいんですが、たとえば手漉き和紙を作っておられる生産者の方々と産業会館とのかかわり方とか、会館を利用される他の住民の方とのかかわり。先程は作品展の話をしましたが、たとえば「友の会」のような組織を作るというような、会館に集まってくる方々を多くしていく手だてはどうなっているんでしょうか。

野村
 当然、組織作りというのは必要だと思います。つい先だっても、伊野町内在住の美術関係の方、これは紙以外の関係の方も含めまして、約10人ほど集まっていただき、組織作りが必要じゃないかなとか、いろいろな話を喧々囂々(けんけんごうごう)やったんです。やらなければいけない必要性はわかるんですが、なかなかいろんな面で、人が足らないなということです。
 それと、私どもの博物館で一番人気があるのは、実は手漉き和紙の体験ができる点なんです。川之江の紙の資料館にもそういう施設がございますが、やはり、これからの博物館にとっては、自分がそこで参画する、体験するということが、やはり必要ではないかなという感じがします。
 ちょっと手前みそになりますが、昨年、ピッツバーグのカーネギー自然史科学博物館のキング館長さんがお見えになった時に言われたんです。あそこは、非常に伝統を大事にしてやっているわけですが、アメリカそのものの歴史が非常に短くて、せいぜい200年ちょっとだということで、非常に歴史のあるものを飾っていることがいいなと。さらにいいのは、ここに来て、昔からやっている手漉きの古い技術を体験できるということであり、これは素晴らしいことだと言われました。

内田
 どうもありがとうございました。
 愛媛学ということで、今、野村先生との間でテーマになっているのは和紙、そのうちの特に手漉き和紙ということでございます。その手漉き和紙と地元の人々がどういうふうにかかわりを持つか、あるいは地域学のテーマとしてそれをどう取り上げていくかという問題を、これから話題にしていかなければいけないのですが、時間の都合もあり、野村先生には、当初予定されたお話をだいぶんはしょっていただきました。それで、その問題については、あとで4人の先生方からそれぞれの御活動を通して、いろんなお話が出てまいりますので、その時にもう1回、野村先生からお話をしてもらいたいと思っております。
 今の野村先生のお話は、一つは、先生自身の御経歴の中で、和紙とどういうふうに触れ合ってきたかというお話でございました。先生の紙とのかかわりの中では、かなり長い間が、むしろ最先端の研究というのに携わってきて、そこをおやめになって、現在の職場にお入りになってから、むしろ和紙との付き合いが始まるというふうにおっしゃっておられます。
 それからもう一つは、この和紙を通じた伊予の国と土佐の国のかかわりというお話をされまして、そもそも土佐の国の和紙、手漉き和紙は、伊予の国から技術が伝来をしたところから始まるんだという話をしていただきました。いわば、和紙というものが両地域をとりもったというふうに見ていいかと思います。それから、もう一つの泉貨紙のほうも、やはり大洲のほうから技術がたぶん伝わっているということで、これもやはり伊予の国から学んだという形をお話をされたと思います。そして現代では、そういう手漉き和紙ではなく、機械漉きのほうでございますが、宇摩地域の中で育ったいわゆる紙漉き関係の紙工場で使う機械類の技術が、さらに今日も高知のほうへ行って、いわば高知のほうの工場を非常に助けている。こういう話だったと思っております。
 最後のお話が、手漉き和紙の現状、そしてそれを支援するための伝統産業会館の中身、ということでした。
 そういうことで、あと4人の方にそれぞれ御発表をお願いして、全体として本日のテーマに迫りたいと思っております。野村先生のお話は、今私が要点をまとめたような形で押さえておいて、次のパネルに移りたいと思います。
 野村先生、どうもありがとうございました。