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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇伊予三島と川之江の歴史的背景

 伊予三島市と川之江市は、歴史的にどう違っていただろうか、また、これからはどうすべきかということについて、もう少し突き進んで考えてみたいと思います。これは、私自身の個人的な考えを申しますので、皆さんの御批判をいただきたいと思います。
 御承知のように、この伊予三島は商業の町としてまず発展をしてきたと思います。特に進取の気性がございまして、全国的な販売網を作って、当地方で生産された紙製品の販売を広げていった。お年寄りの方は皆さんよく御存じだと思いますが、紙の町としての磐石(ばんじゃく)の元を作っていただいたのは、まさに、伊予三島の先鞭、先覚者たちであったのではなかろうかと考えております。
 一方の川之江は、足利時代からの城下町で、徳川時代には幕府直轄領でもあり、多くの文人も現れるなど、比較的穏健な資質が特徴ではないかと思います。どちらかと言えば、物作りのほうが得意なのではなかっただろうかと考えます。
 昭和の初期に入りましてからは、製紙業の発達に伴い、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)するような関係になり、競争意識が芽生えてきたと思います。しかし、少なくとも製紙業を中心とする経済領域から考えた場合には、今は競争の段階ではなく、お互いの長所を生かした10万都市の形成段階に達していると考えられます。伊予三島・川之江の両市はもう合併して、四国中央都市を形成する時期ではなかろうかと、私は考えているのでございます。