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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇生活史におけるアマチュアリズムの大切さ

 ただいま過分の御紹介をいただきましたが、地域学とは、そんなに難しいことではないんです。地域学の内容としましても、私が申し上げる必要がないほど、先程の4人の先生方のお話があり、もう言うことはないのですが。まあ、いくつか気付いたことを少し申し上げたいと思うのです。
 その第一は、この地域学というのは、学者ばかりではなくて、むしろ皆さん、主婦の方とかあるいはお勤めをされている方とか、つまりどなたでもいい、アマチュアリズムというのが一番意味を持つということだと思うのであります。どうしてかと申しますと、大体御自分の歴史というものは皆さんお持ちになっている。最近、私の友人の色川大吉氏が「自分史のすすめ」というようなことを言い出しまして、それが大分ヒットしまして、いろんな所で「自分史」ということを言っております。それは確かに他の人には書けないものなんです。しかもどんな文章が下手な人でも、自分史一本だけは書ける。まあ、文章表現の勉強をしなくてはなりませんが。そうしてできた自分史というのは大事な意味を持っているんです。
 しかし何といってもですね、自分の記録でも、その時書いたという事が大事なんですね。後になって書いたというのは、どうしてもそこにフィクションが入る。人間というのは都合よくできておりまして、大体悪いことは記憶の外に行ってしまうんですね。そしていいことだけ、それがしかも膨らんでくる。ですから後に書いたものは、一等資料にならない。歴史学で言いますと、その時に書いたものが貴重なわけです。そうしますと先程、終戦時における調査をなさった。これはまあ、まだ時間もそうたっておりませんし、しかもお仲間と一緒に話しているうちに、過去をきちんと整理するというお仕事は客観性を大切にする作業がお互いの間でできますから、大事なことだろうと思います。
 実は生活の歴史というのは、自分史と同じようにだれもが素人なんですね。それは日常のことですから。私は、以前中公新書に「ある明治人の生活史」というのを書いたのですが、それは相模原に住んでいる相沢菊太郎さんという方の、19歳から書き始め、94歳でお亡くなりになる5日前まで筆を取っておられた日記をもとにしております。これは大変な記録で、ギネスブックに載ってもおかしくない。大体日記をつける習慣というのは、世界的に調べてみますと日本人が一番多いんです。ただ飽きっぽいんで、途中で嫌になって5~6年というのが一番多いのですが、それだけ長く記録したというのは非常に珍しい。
 それだけならまだしも、遅れること10年、奥様が亡くなられてからはですね、御自分で金銭の出入りを書いているんです。これが誠に貴重な物価史を物語る資料になっているわけです。例えば、今の二丁分の豆腐がいつから今のように小さくなったというようなことも書いてありますし、前後の値段もわかる。ずっと値段を調べて行きますと、お米だけがわからない。農家ですからね。あとは全部わかるんですね。そういうすごさがありまして、私はそれを見せていただいた時に非常にびっくりしました。
 ところが、経済状態の基本というのは、やっぱりそこの家の職業に関係した経済記録なんです。2年ぐらい通ってその日記だけを見ていても、家計の全貌(ぼう)がどうしてもわからない。地主さんですから、小作料をいくら取って、どのくらいの面積を貸して、それをいつまた引き上げたのか、その記録が欲しい。それは非常に大事な物でありますから、御子息は長く私を観察していたわけですが、2年目になって薄っぺらな小作簿という帳面を見せていただいて、初めて、それで全貌がわかったわけですね。
 驚いたことにそのころの小作料というのは、明治、大正、昭和を通じて小作料は2割近いんですよ。江戸時代はなんと3割ぐらいあったといわれています。これはやっぱり大変なことです。ところが相沢さんは、よく勤労意欲に燃えて一生懸命働いている人には小作料を割引をしているんですね。これに対して怠け者だと、猶予せず取り立てを完全にやる。そんな地主さんであった。ところが農地解放によって、10町歩余りの小作地は一切取られてしまった。だから自分の家屋敷と山林だけが残った。自ら開拓に従事して開いた土地もありますから、その時の激怒の様子というのは、皆さんにもお見せしたいくらい激しいものがあります。
 それから後が本当は大事なんですけれども、今まだ小作人の皆さん現存しておられるからちょっと控えさせてほしいということだったので、それを見たいと思いつつも、御子息も亡くなられた今は見られなくなりました。
 じゃあこんなことを素人が何かやる場合にはどうするのか。大体学者になる者も最初はみんな素人でありますから、それを考えればいいのです。けれども、どうも物おじしてしまう人もいます。一番いけないことは、自分のやっている事は、大したことはないんだというふうに決めてかかることです。