データベース『えひめの記憶』
わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~
◇歴史から学ぶ自らのアイデンティティ
大体歴史を無視する民族には発展がないというふうに、昔から言われているのですが、そのためにも自分の歴史から始まって、日本の歴史や地域の歴史を考えるというのは、これは素晴らしいことなんです。今こういう形がなぜ起こってきたかということなんですが、やはりその、素人だ玄人だという差別があまりありすぎたのではないでしょうか。たとえば、どんな人でも古文書を半年ぐらい真剣に勉強すれば相当読めるようになるわけですから、あくまで挑戦する意欲を持つことが大切です。
私はかつて桐朋学園大学というところにおりまして。まあ世界的に有名になった音楽家がたくさん出ました。音楽関係学科目は皆必死ですが、歴史は教養科目でそっぽを向く者が多い。それで最後になって「先生、何とかして下さい。」、何とかって言っても、出ていなければダメだ。レポートを書いて来いと。そうしますと、ものすごい下手くそな字なんですが、ちゃんとまともな事を書いて来る。まともというかまともでないというか、こちらが与えた題とは全然違うことを書いて来るんですね。でもその中身ですね、面白いんですよ。
話は飛びますが音楽科生の一人に小沢征爾君がいます。彼は、ボストンの交響楽団の常任指揮者で、あのへんに来たら必ず電話をかけろと言うので電話をかけましたら、別荘に呼んでくれたんです。その晩に彼が述懐して曰(いわ)く「先生の講義をもうちょっと聞いておけばよかった。今それをしみじみと後悔している。」と言うから「本当か?」と言ったら「本当だ。」と。どうしてかというと、世界中を回っていますと、日本の文化を自分が一人で代表しているようになると、日本を知らなさすぎる自分に気付くと言うんですよ。
しかし、後の後悔先に立たずで、やはりできる時にやっておくということは、非常に大事なことなのですが。そのころに、学生のころにきちんと音楽をやりながらでもちゃんとやった人が何人かいるのです。その中に堀米ゆず子さんという女性が、これは世界的なバイオリニストで、今ベルギーで活躍している人なのですが。これは伯父さんが東大の西洋史の教授で、堀米庸三さんという著名な方でしたが、その人の姪(めい)ごさんなんです。その堀米先生は昔から存じあげている大先生で、この子が入って来た時に、わざわざ大学までお越しいただいて、姪が入るからよろしくということなんですが、よろしくと言ったって私の単位を取るかどうかはわかりませんけれど。そうしましたら単位を取ったのですが、彼女が書いたレポートが驚くべき内容なんです。日本文化に対する自分のアイデンティティをしっかり持って、西洋音楽と対峙(たいじ)している様子がありありとわかる立派な文体でした。
彼女の同級生に小林君という、また、これは正法眼蔵を研究した人がいました。その時のレポートの題は「日本文化史上特筆すべき人物一人を挙げて略述せよ。」で、原稿用紙10枚程度としたにもかかわらず、小林君は120枚書いて来ましてですね。わざわざ、禅宗のお寺に行って座禅を組んで、もちろん永平寺にも行って、ということをやっているわけです。彼女もヨーロッパで活躍しているのですけれど、心強く感じます。
さて愛媛というところは、先程来お話を聞いてびっくりしたのですが、ともかくアイデアマンが多い。いろんな方々がもう、日本の文化をしょって立つような方々がいらっしゃる。あるいは日本の産業を興した方々が沢山いらっしゃる。その方々に共通するは、まず自己主張が、はっきりしておられる。ですから会場の皆さんも、自分に自信を持って何か一つのことを決めておやりになれば、相当な事ができるんだという確信を、ぜひお持ちいただきたい。それがないと始まらないということですね。先程、伝統文化を発掘されたというお話しを承りました。これはもう、すごいことで。私も文化庁で、日本全国の近代文化財の指定をする仕事をお手伝しておりますので、そういう中で何かいい事があったらぜひお知らせいただきたいと思っておりますが。
さて地域文化を活性化する時には、何が必要なのかという事を次に考えますと、その住むところ、住む家というのを土台にして、さらにどういう事を考えたらいいのか。最近、東大で建築社会学をやっている伊藤さんという人がですね、3世代住居論というのを始めたんですな。つまり、日本はアメリカの中以下の家庭を見習って、皆一人ずつ勉強部屋を持って、そして食堂へ集まるのは皆んなばらばらである、というようなことをやっているけれど、これは間違いである。つまり、お歳を召した方からお孫さんがいろんな知恵を授かるというのは、これは3世代いることが一番いいことだといっています。そして、アメリカでも上層階層の人たちは、同じ敷地か、同一家屋で3世代が住む家庭が増加してきたという話です。
日本では古来、嫁姑問題が様々なトラブルを起こす原因と考えられ、核家族化が進められてきましたが、家族関係も文化関係も同じで、生活の知恵や文化の伝承は、子孫や文化継承者に福音をもたらす、大いなる遺産の原点です。したがって、地域文化の継承に欠くことのできない原点回帰は、家庭でその土地の文化現象を子供や孫に語るところを出発点として、その地域の文化特性を理解させることが、キーワードの一つとなるでしょう。