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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇打ち抜き工法の歴史

 打ち抜き工法には、大きく分けて二つあります。一つは「衝撃式」と呼ばれるもので、割竹や鉄棒などの先端に「たがね」や「のみ」を取り付け、それ自体の重みを利用して打ち抜くという方法です。もう一つが「回転式」と呼ばれる方法で、鉄パイプの先端にダイヤモンドのような堅い刃の「のみ」を付け、それを強い動力で回転させながら掘り進むものです。もちろん、「回転式」の方が近代的です。

写真10
 「衝撃式」の一例です。「新居郡禎端(にいぐんていずい)新田地をうがちて、泉を得る図」と書かれてあります。図のようにやぐらを立てて、鉄の棒を支えます。やぐらの上で親方が音頭を取り、その下に15人ほどの人夫が「ワッショイ、ワッショイ。」と鉄棒を担ぎ上げていくわけです。ある程度上がったら、自在(じざい)かぎをゆるめてストーンと落としてやる。すると、鉄棒の重みで地面が掘れるわけです。こういうやり方が、一番最初ではなかったかなと思っております。

写真11
 写真10の改良型と思われるものです。てこ棒を上下させて鉄棒を上げ、ある程度上がると自在装置をはずして鉄棒を落下させ、鉄棒の自重で掘り込むという方法です。簡単な装置で能率的(1日に井戸1本の割合)に仕事をすることができ、浅い井戸を掘るのに最適の方法でした。現在使われている「うちぬき」のほとんどが、この工法によって抜かれたものです。打ち抜き音頭とともに、のどかに作業が行われ、この地方の風物詩でした。

写真12
 これは上総掘(かずさぼり)といわれる工法で、割竹(竹条)を利用したものです。割竹の先についているたがねで、カンカン打って穴をあけていくものです。踏車(ふみくるま)(b)中には人間が入り、掘り進むにしたがって竹をどんどん地中へ延ばしていく、あるいは巻き上げるという仕組みです。

写真13
 後になって鉄パイプができだしてからは、この図のような方法で鉄パイプを打ち込みました。ヨイトマケ式で、重りを上げては落とすという方法で掘り進みます。鉄パイプの一番先端の部分に穴を開けておきますと、そこから水が上がってくるという仕組みです。

写真14
 1994年(平成6年)6月、「ふるさと探検隊」の子供たちが「自分の力で打ち抜きを抜いてみたい。」ということで、私たちが指導して体験させた様子を、朝日新聞が取り上げたものです。子供たちが30mくらい抜いた時に水が噴き出したのですが、その時の子供の顔色といったら、なかったです。もう、本当にうれしそうな顔をしておりました。やはり子供というのは、体験させなければいけないと思います。

 実は、この「うちぬき」は私どもの所だけのものではありません。西条の打ち抜き師たちが東予地方はもちろん、瀬戸内海を越えて山陽筋まで仕事をしに行ったという記録があります。また最近、徳島市の方から「徳島の吉野川流域には、非常にたくさん『うちぬき』があるが、それはどうして伝わって来たのだろうかと調べたところ、伊予西条の久保半蔵という人がその技術を伝え、さらに、徳島城西の丸で、14代藩主の御前で『うちぬき』を抜いてみせて、御褒美をもらった。」ということを教えていただきました。昔の人のことを探っていけばいくほど、全国につながっていくものだと思います。
 皆さんも、自分の地元はこういうふうにして抜いていたんだ、こんなのを見たことがあるというようなお話がありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。
 どうも御静聴ありがとうございました。