データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)
4 秋
初秋
八月二一日から九月一一日の二一日間が初秋に区分される。初秋のはじめの八月二三日は処暑で、太陽黄経一五〇度、これは光の強さでいえば五月上旬・中旬に等しい。次第に夜が長くなり夜間の放射冷却がさかんになって朝夕は涼しくなるが、日最高気温三〇度C以上の真夏日も初秋中頃まであり、日中の残暑はかなりきびしい。初秋の気圧配置をみると、夏型が半減し代わって移動性高気圧と気圧の谷型が増加する。北太平洋高気圧は次第におとろえ南高北低型の気圧配置がくずれると、中国大陸から移動性高気圧がやってくる。夏の高温多湿の空気はそれより気温が数度低く、乾燥した移動性高気圧にかわると、さわやかな秋らしさを感じさせる。節気の処暑とは「暑さようやく退散するころ」の意である。高気圧の後には気圧の谷がすすんできて、熱帯性の激しい雨にかわってしとしと広い範囲に降る秋の雨が多くなる。
八月三一日は瀬戸内地域で悪天になる特異日として知られている。毎日について長年の平均値を計算すると、前日差が大きくそれに続く数日間連続して特徴ある気候現象が現れる場合があり、寒の戻りとか残暑のような特異な天候が持続する。これを特異日という。八月三一日は悪天の特異日で、この日あたりからとくに日最低気温が急に下降しはじめる。 初秋の末期の九月一日は二一〇日にあたるが、これは関東大震災のおこった日で、本格的台風シーズンは秋雨に入ってからである。七月中旬から続いた真夏日は八月末に終わるが、松山での年間真夏日平均日数は六〇・五日で約二ヵ月間ある。
秋雨
九月一二日から一〇月九日までの二七日聞か秋雨である。およそ九月中旬から一〇月初旬で、夏型の主役であった北太平洋高気圧が次第に南にしりぞき、北の大陸の高気圧が強まり、北太平洋高気圧との境界が寒帯前線で、わが国では秋雨前線とよんでいる。梅雨前線とは反対に北から南下してくるので、多雨域も北から南に移動しその後に大陸の高気圧がやってくる。秋雨期は瀬戸内海沿岸、とりわけ東予に多くの降水をもたらすが、この時期にやってくる台風はやはり四国山地南部と南予に多量の降水をもちこむので、全体として中予沿岸に最も少なく、南部・東部に多降水の分布パターンとなることは前にのべた。
台風型気圧配置の出現頻度は図2―40に示したように、七月下旬に多くなり八月下旬に最多となる。九月はむしろ少なくなり、一〇月で台風シーズンは終わる。七・八月の台風は夏台風といい、経路が一定しなく日本付近で急速に衰えるものが多い。九月は台風シーズンといわれるのは、台風コースが日本付近を通り勢力が強いまま日本列島を通過するからである。二一〇日は台風の厄日として知られているが、この日の台風襲来は少ない。この日が警戒されるのはおもに稲作に関係しているようである。
台風襲来の特異日として知られているのは九月一七日・九月二五日前後である。九月一七日には枕崎台風(昭和二〇年)、アイオン台風(同二三年)、第二室戸台風(同三六年)などかあり、九月二五日には洞爺丸台風(同二九年)、狩野川台風(同三三年)、伊勢湾台風(同三四年)などがある。強風、大雨災害については次節でのべる。
秋台風が日本を通過し北東にとおりぬけると、さわやかな秋風が吹き晴天となり、台風一過の秋晴れとなる。これは台風のうずが大陸の高気圧をさそいだすように、さわやかな移動性高気圧が日本をおおうからである。
秋
東京での長年にわたる秋雨の終わりの時期を調査してみると、一〇月一〇日になる。昭和三九年秋の東京オリンピックの開催日はこのようにしてきめられ`オリンピックは好天に恵まれ大成功をおさめ`この日を記念し体育の日が定められた。図2―40から明らかなように停滞前線型は四分の一程度にまた台風型も半減し、かわって移動性高気圧と気圧の谷型中心の気圧配置になる。この時期の末期には冬型も現れはじめる。
日平均気温は一五から二〇度Cで、日最高気温は二五度Cをこえることがなくなり、日最低気温も一〇から一五度Cで、いわば暑からず寒からず、春と並んで一年中で最も快適な季節である。日照時間も秋雨期から回復し六時間以上にたり、日降水量も減少し二㎜程度になっている。「天高く馬肥える秋」といわれるが、秋の空は春の空よりも澄みきっている。春はまだ植生がなく、日射が強くなるので大気中のちりが多く黄砂などの現象がみられるのに対し、秋は植生が地表にはりつき、日射が次第によわくなるので、地表面が低温になり大気が安定し、ちりが大気中にまきあげられにくい条件にある。移動性高気圧や帯状高気圧で晴天が続き一般風がよわいと、日中の気温はかなり上昇するが、夜が長く空気が乾燥していると地表面の放射冷却がさかんになり、露や霧さらに低温になると霜が生ずる。二四節気では一〇月九日寒露、一〇月二四日霜降である。松山での初霜は晩秋の終わり一一月二二日、宇和島では一一月二七日が平均日である。風のよわい内陸や盆地では、この頃から初冬にかけよく放射霧が発生することは前項でのべた。
秋は農作物の収穫期でもあり、各種運動会や祭・展示会などの戸外活動だけでなく、快適な気候で夜が長いので読書や芸術創作活動にもよい季節である(図2―45)。
晩秋
晩秋は一一月四日から一一月二四日の二一日間である。一一月七日は立冬で光の季節では冬に入る。月初めに石鎚山では初雪、一〇〇〇m以上の山地では紅葉が始まり、山はもみじ狩り、きのこ狩りでにぎわう。紅葉が山すそから平地におりてくるのは一一月中旬から下旬になる。秋晴れの特異日でよく知られる一一月三日から日照時間は減少しはじめ、ひと雨ごとに寒くなり、時にシベリア大陸から寒波がやってきて木枯しの季節になる。冬型気圧配置は秋から晩秋にかけて倍増し、二〇%近くになる。気温は秋にひき続き低下し続け、日最低気温が五度C近くになる一一月末には初霜・初氷がみられるようになり、暖房がほしい季節になる。