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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

二 伊予に伝世する古代の工芸品

伊予軍印

 わが国の古印は七世紀のころ、その製作手法とともに大陸より導入された。当初は大陸から渡来し我が国に定着した工人たちによって製作されたが、次第にその技法を習得したわが国の工人たちによって製作されるようになった。奈良・平安時代の古代印章は権威の象徴として大切に保管され、美術的にも賞美されてきたもので、大和古印と称されたわが国の印章は大陸から導入された他の文物と同様、中国の隋、唐の文化にその源流を発している。わが国に伝世されてきた古印の印影、印文の書風など、それぞれ格調の高い芸術性がうかがわれ、改めて日本古印の美を再認識させられ、その古雅で気品に満ちた風趣に感動をおぼえるものである。
 宇摩郡土居町の八雲神社に伝世される「伊予軍印」は三・七㎝正方、厚さ一・二㎝で背面中央に高さ一・八㎝の把手がついている。印面は六朝風の文字で「伊予軍印」の四文字が刻まれている。この軍団印は諸国に設置された兵制の印であり、奈良時代に伊予軍団に交付された官印である。全国的にも今日現存する例はきわめて少ない貴重な文化遺産である。

禽獣葡萄鏡

 鋳銅工芸の古い伝統を持つ銅製品は古墳の銅鏡をはじめ、各種の工芸品が中国より渡来した。
 材質も白銅、銀製、鉄製のものや、技法もさまざまであり、文様も海獣葡萄鏡、鳥獣花文鏡などが多く、唐時代に作られた、いわゆる唐鏡がこの時代の代表的な工芸美術であろう。
 大山祇神社所蔵の禽獣葡萄鏡は面径二六・八㎝、縁厚が一・七㎝、重量二九〇六gで香取神宮所蔵の海獣葡萄鏡と並んで国宝の指定を受け、唐時代に盛行した鏡の典型的な遺品である。
 この鏡は総体的に厚手なつくりの白銅鏡で、葡萄唐草を地文として多数の鳥獣を配し、怪獣が獲物をとらえた力強い姿、周縁沿いに葡萄の実と葉を交互に置き連らねた唐草文をめぐらし、鈕を囲んで四方に孔雀、鳳凰と獅子を対称的に配し、小禽、小獣の嬉遊する姿を表している。
 鋳技まことに精緻を極め、その豪奢豊麗さは鑑賞する人を圧倒するものがある。当時の技法の最高の芸術品として貴重な遺品である。

木造扁額

 大山祇神社に伝世する木造扁額は、平安の三蹟として知られる藤原佐理の筆によるものであると伝えている。「日本総鎮守大山積大明神」の一一文字を二行に配し、書風まことに雄渾で格調高く、平安時代を代表する書である。大きさは縦が一〇三㎝、横が六九・七㎝、厚さが九・一㎝、三枚の板を矢筈形に組んで透き間を防いでいるなど興味深い。

金銅蔵王権現御正体

 四国八十八か所の六〇番札所横峰寺は、石鎚山系北東に位置する札所随一の難所として知られるが、同寺の本尊大日如来とともに伝世された蔵王権現御正体は、高さ二二・二㎝、幅一四㎝の銅製に鍍金を施している。出土品であったために鏡板の大部分を欠失しているが、霊峰石鎚山が古代より修験道場として盛行していたことを立証し得る平安時代の貴重な遺品である。

和 鏡

 今治市の野間神社境内で明治の初めに出土したものと伝えられる和鏡一一面は、いずれも平安時代の後期と判定されるもので、このような同時代の和鏡がまとまって出土した例は珍しいものである。おそらくは経塚造営の際、埋納物としたものであろう。いずれも直径一〇㎝前後で厚さは薄く背面の文様は花鳥を主とした題材で、この時代にわが国独自の美術工芸が生まれ巧緻な鋳技は高く評価されている。

銅 銭

 新居浜市黒島の明正寺に伝わる銅銭の承和昌宝は仁明天皇の承和二年(八三五)に鋳造された銅銭で、我が国の皇朝十二銭中、奈良時代の和同開弥ー万年通宝-神功開宝などの出土例はあるが、このように一か所からまとまって見つかったのはきわめて珍しい。伝えられるところによれば、明正寺本堂の須弥壇の下に陶製の小壷に五〇枚を納めていたという。承和二年から間もない頃にこの本堂が建立されたものと思われ、鎮壇具として埋納されていたものである。明正寺は浦島観音を本尊とし、亀の背に乗った白壇を材とする観音像は秘仏とされている。当時に伝世する仏具や旅壇具など貴重な工芸品を所蔵している。