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伊予市誌

一、労働の中の歌

 田鋤歌・牛追い歌
 昔は田の鋤きおこしなど農作業に、牛は動力源として重要な役割を果たしていた。牛は前に立って綱を引くと、なかなか動かないものである。それで普通は後から牛を追う、そのとき牛を右に向けるときは「へせ」または「ひょせ」といって綱を引き、左に向けさすときは「はせ」といって綱でうった。
○晩にゃ休ますぞや 精出して歩め かゆにゃ米ぬかもぶりめし
○牛や やれやれいっさのなんぎ 後の半年寝て休む
 牛を扱うとき、すきを持っているおとなは、牛が歩きやすいように、うしろから声をかける。
○そーりゃいけ ほらかえれ さっさといかなきゃおかさぬぞ おっともどれ

 苗取り歌
 苗取りは、普通年寄りの受け持ち作業であった。朝早くから晩おそくまで、ひとりで苗取りをするのは、たいへんな重労働であった。腰が痛む、手首が疲れてくる、単調な作業であったので、自然に大きな声で歌を歌った。
○今年や豊年ほにほが咲いて 道の小草に米がなる

 田植え歌
 田植えは水上からだんだん水下へと移って来て、郡中辺りが最後のようであった。何日も続く苦しい労働であった。そのため田植え歌は最初の朝の部分と、しまいの夕べの部分はどの地区も共通した歌で始まり、そして終わっているが、日中の労働のきびしいときの歌には、いろいろおもしろい歌が残っている。
 歌い方は、「おさんばいの神は、あらたなる神じゃ」とまで一人が歌うと、「駒からおりて かさをとれとれとよ」は田植えしている全員が歌うというふうに、歌っていた。
 昔は黄金の草といわれるくらい米は大切なものとされていたため、田植えはその地方の農民ばかりでなく、民衆すべての大きな作業でもあったようで、田植え歌はそんな中で、いろいろの人に歌われ、伝えられて今日もたくさん残っている。
○そろたそろたよ早乙女がそろた 白いすげがさ赤だすき (中村)
○おさんばいの神は あらたなる神じゃ 駒からおりて かさをとれとれとよ (新川)
○山田やの稲は あぜにもたれかかるよ 十七 八は恋し 殿ごにもたれかかるよ (郡中)
○そろたそろたよ早乙女がそろた 稲の出穂よりようそろたよ (中村)
○ふとれや小松 枝も栄えよ小松よ 若殿さまの お腰掛けの小松よ (郡中・南伊予)
○日は暮れぐれに 駒はどこへつないだ うねたにこえて となぐさにつないだ

 田草取り歌
 田の稲が三、四〇㌢㍍に伸びた八月の炎天のもと、稲の株のまわりの草取りはたいへんな苦労であった。今は便利な農薬で草が枯れて、苦労話も昔語りとなった。
○かわいい殿ごが田の草とれば 涼しい風吹け空くもれ (北山崎)
○今日は主さん田の草とりよ 早く風吹け 空くもれ (郡中)
○やいとすえるも 手習いさすも 未のためじゃと思やこそ (大平)

 籾すり歌
 籾すり歌は、田植え歌と同じように、この地方には多く歌われ、残っている労働の歌で、竹と粘土でかためたうすを、籾をかける人と、うすをまわす人が互いに歌いながら、籾の皮をうすでむいでいく作業歌である。歌の文句に、「かけておくれや 籾かけさんやなかのしん棒が みえぬように」とあるが、籾が少なくなると、飛び散って身体がちかちかしてくるので、もっとかけてほしいという意味である。
 籾すりの日は、朝がたいへん早く三、四時ころから始めて、夜もおそくまで家内総出で作業をした。こうした苦しい作業は、普通どの家も二、三日続いた。今はわずか三時間くらいで、きれいな米になって、ちゃんと米袋に入れられるのに対し、むかしは長い時間かかったので、自然に、うすをまわす調子に合わせて歌を歌った。次に籾すり歌のいくつかを掲げてみる。
○かけておくれや 籾かけさんや なかのしん棒が みえぬように (下吾川・大平)
○くるりくるりと 回るは淀の 淀の川瀬の 水車 (市内全域)
○くるかおいでるかと 浜へ出てみれば 浜は松風 音ばかり (北山崎)
○今度くる時きゃ もてきておくれ 裏の小梅の 青梅を
○なすの与市は 三国一よ 男自慢の 旗がしら
○備前岡山 神田の沖で 鶴と亀とが 舞をまう
○早くこの籾 すりあげてしもて とのさん 道後の湯に行こうや
○とことんと すりあげてしもて 明日は 道後の湯に行こうや
○だいて寝かして 手まくらすけて 何が不足で 目をさます
○おいでなされたら おあがりなされ 心みたよに とまるように
○夜明けにゃぞろり 日の出は ぶんぶ 七つにゃ ねんね (郡中)
○わしが殿様 くま山がよい くまに みさかがなけりゃよい
○かけておくれよ 籾かけさんよ うすの横木の見えるよに アー チャッチャ チャッチャ

 米つき歌
○奥山に一人米つくあの水車 誰をまつのかくるくると (郡中)

 うすひき歌・粉ひき歌
○小麦ひく時はねむりこけなるが 団子食べる時にゃ 猿眼 (郡中)
○ちらしひく時は歌わにやならん つまみ食うたかと思われる (郡中)
○宵にゃ出もせず夜中にゃ失せる どこのしのびの戻りやら (郡中)

 地づき歌
○豆のないのが ヤーンサ ヤンサノヤンサ警察に知れて ヤーンサ ヤンサノヤンサ七日七夜の 豆けずりぞな もしといのつんなもせ エーサエンヤラ ハレワイサ モシテコイ シテコイトハ サンサノエ (北山崎)
○ここの屋敷は良い屋敷 まわりが高くて中低で 大判 小判が流れこむ (郡中)
○ヨイ よいとこ ヤンサー やんさもやんはそちでやれもーといのつーんなもせー (南伊予)
○下へ下へと枯木を流す 流す枯木に 花がさく
○思うて通えば 千里が一里 あわず もんてくりゃ また千里
○桜三里の いきじぞうさんとは もうといの つんなもせ (南伊予)

 地づき音頭
  ヨーイヨイトコヤーンサー ヤーンサーモヤーンサー やぜん生まれた猫の子が ヤーンサモヤーンサー こたつの上にと昼寝して ヤーンサモヤーンサー うなぎの丸焼夢にみた モートイノッナモセー エーイエイヨナーハリワイサモシテコイ (三秋)
 亀の子音頭
 一 桜さんとはヤーエ ヤットコセー ヨーイヤナー 桜さんとはあなたの事かな ヨーイトコ ヨーイトコセーソーレ ハリャ ハラランリャン ヨーイトコ ヨーイトコ ヨーイトコセー
 ニ わたしはあなたにヤーエ わたしはあなたにこけるほどほれたぞ
 三 わたしが想いはヤーエ わたしが想いはこれから東じゃ
 四 ぐるり山中ヤーエ ぐるり山中谷上山ぞな
 五 想うておれどもヤーエ 想うてはおれどもいいだしぬくいぞ
 六 心やすいがヤーエ 心やすいが邪魔となるぞな
 七 想うておるならヤーエ 想うておるなら言うておみなさいよ
 八 心やすいはヤーエ 心やすいは常のことぞな
 九 私かこまいときにはヤーエ 私かこまいときには米屋の子守りじゃ
 一〇 今では七村のヤーエ 今では七村の庄屋の嫁ぞな
 一一 家がよいとてヤーエ 家が良いとておごるな娘よ
 一二 二代長者はヤーエ ニ代長者は続きはせんぞな
 一三 二代長者もヤーエ ニ代長者も続きはせんけど
 一四 二代貧乏もヤーエ ニ代貧乏も続きはせんぞな
 一五 馬鹿にはおしなよヤーエ ばかにはおしなよいま枯木でも
 一六 またも目の出るヤーエ またも目の出る節もあるぞな
 一七 わたしが想てもヤーエ わたしが想ても女の方から
 一八 洗い髪かなヤーエ 洗い髪かやいいにくいぞな
 一九 わたしがあなたにヤーエ  わたしがあなたにほれたは他でもないぞな
 二〇 あなたの気分にヤーエ あなたの気分にほれたぞな ヤーンサーモ ヤーンサー ヤーンサーのお声がそろたなら 亀の子などをもそろいますぞな モートイノッナモセー エーイー エイヤナー ハリワサモシテコイ

 亀の子音頭
○お前百まで うちゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで
○一度でもよい あなたの親に うちの嫁じゃと 呼ばれたい
○歌は利でいて また利でもどる あなた夜でいて 夜に帰る
○私は去られて 帰るのはよいが もとの十八にゃ してもどせ
○もとの十八にゃ してやるけれど うちで取った年は おいていね

 糸引き歌
○木綿はひかんでも宿の名は立たぬ ひかぬその子の名が立つよ (郡中)
○木綿ひきにきてひかん子はおいに いなんとひく子の邪魔になる ピーンピーン (南伊予)
○木綿ひき習ろて機織り習ろて お針習ろたら人の嫁  (郡中)
○女郎のよりには車はいらぬ 女郎のよりには三味太鼓 (郡中)

 櫓漕歌・船頭歌
○押せや押せおせ船頭もかかも 押さなのぼらぬ この瀬戸はヨー (郡中)
○船は押せゝ船頭さんも梶も 押せば港が近になる   (郡中)
○船は出て行く帆かけて走る 茶屋の女が出て招く   (郡中)
○ヤーレわたしゃ伊予市の中浜育ちよ親の代からノヤーレ船をこぐよ (郡中)
○私とよこやま仲良しよ 私のすみかは よこやまや たばこ一葉が米三升 (北山崎)
○ヤーレ 沖の暗いのに 白帆が見えるよう あれは紀の国 みかん船よう
 ヤーレ みかん船なら 急いでのぼれよう 冬のやまぜは 西となるよう (森)

 木挽き歌
○山に切る木は数あるけれど 思い切る気はさらにない (郡中)
○木びきさんとは知りつつほれた 甲斐性なしとは知らなんだ

 機織り歌
○糸は切れやすく うちつなぎやく うちの姑さんは おこりやく
○かすりの仲買いさん もどりにお寄り今はうわ巻き まだおりん
○年に一度の 七夕さんは、お会いなされや 天の川
○来るかおいでるかと待つ夜にゃ来ずによ待たぬ夜に来て門に立つ よトンカラリートンカラリー (郡中)
○色は小白し 背はちょいと高いしょー 可愛い主さんが おいたわしいやよー
○立てばしゃくやく すわればぼたんよー 歩く姿は ゆりの花よー
○神か仏か 機織りさんはよー いつも鳥居の前に住むよー
○何の因果に はたおり習ろたよー たすきなげおく ひまがないよー
○はたおりしょっても 気は待じゃよー 言うた言葉は かわりゃせんよー
○時間定めの十時が来たらよー どこにおりても 来ておくれよー
○何がのうても 新宅家でよー 夫婦暮しが してみたいよー
○言うておくれや ことづけしたとなー こがれあかして おるとまでよー
○ちきりこまなれ 布巻き太れよー 入れたからくだ 細くなれよー (上吾川)
 
 馬子歌
○馬や歩けや沓買うてはかす 僅か五厘の 安沓を   (大平)
○馬や歩けや沓買うてはかす 二足五文の四つ沓を   (郡中)

 雑歌
 東くもれば 雪とならしゃる 西がくもれば 雨とならしゃる いけば いけのはな もどれば もものはな げんない様へ 来りて見れば おこはる様の およめの仕度 たんす ながもち ゆうたんかけて すうとんとォー すうとんとォー

 四つ竹踊り
○サーエーイヨーサーエ しんぼう子大臣に虎の皮着せて ソリャ 千里とべとは ちとやの 無理じゃサーエ
○サーエーイヨーサーエ 竹の切りかぶに たまり水はなァソリャ 澄まずにごらず 出ず 入らずサーエ (三秋)

 ギッチョンチョン
 郡中良いとこだっせ トンカイロを枕とし 船の出入りをね 寝ちょって みちょる キリスカンカン イガイドンス キンギョクレンポノスレンポ あなたの権利じゃあるまいし わたしの権利じゃほっといて 大きなまかりさん あほらしいじゃ おまへんか (郡中)

 伊豫節(郡中旧藩時代)
 伊予の郡中は名所が多い いちに米湊 海雲寺 森の扶桑木 砥山のといし 白糸の滝のあるのが川登 八倉の小梅 灘町の港へ入る帆かけ舟 おかめのもりやら三島町 チョイト金子松
○三秋松葉をにない出すならば 大平薪をにないだす
○稲荷市場の水呑みそめて いやよ尾崎の泥水は
○池の水からか町近からか 米湊若衆品がよい
○三秋兄さんいも食て死んだ さぞや地獄で屁をたりょう
○稲荷兄さん水上からか せいが低いに気が高い
○郡中よいとこ 粥食山を枕とし いいじゃないか蒸気の煙を寝とってみちょる
○三島町よい所だ粥食山を枕とし いいじゃないか伊豫の小富士を寝とってみちょる
○谷上山よい処じゃ ふねがなるを枕とし ええじゃないか 蒸気の煙をねちょってみちよった
○ねーん ねーん ねーえんや ねんねのお守はどこへいた あの山こえて 里へいた里のみやげに 何もろた でんゝだいこにしょうの笛 それをもろうて何にする 吹いたり たたいたりしてあそぶ
○ねんねん ねんねん ねんねんや 坊やはよい子じゃねんねんせ ねたらかあさんにつれていく 起きたら 川へほうりこむぞ ねーん ねーん ねーんや