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伊予市誌

2 児童福祉

 一九四八(昭和二三)年一月一日に施行された児童福祉法(昭和二二年制定、法律第一六四号)の第一条に児童福祉の基本理念について、「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生れ、かつ、育成されるよう努めなければならない。すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。」と、また、同法第二条には「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」と規定されている。一九五一(昭和二六)年五月五日に制定された児童憲章や一九五九(昭和三四)年一一月二〇日、国連第一回総会において採択された児童権利宣言についても、児童の幸福を図るために児童に対する大人の崇高なる希望と信念についてあらわされ、児童福祉の諸施策はこの精神に基づき実施されることになった。
 児童は本来その家庭で健全な両親の温かい愛情のもとで育てられることが最も自然の姿であり理念であるが、家庭に恵まれない児童や心身に障害のある児童のために家庭に代わる環境として児童福祉施設が設置され、それぞれ該当する児童の措置がなされた。
 二〇〇三(平成一五)年四月現在の当市における児童福祉施設への措置児童数は第56表のとおりである。

 保育所
 本市の保育所は地域住民の強い要望と協力によって設置されたといえる。すなわち、あさひ保育所は旧郡中村当時、季節保育所として設けられていたものを郡中町との合併後に「郡中保育所」として発展させ、一九四〇(昭和一五)年三月一〇日、上吾川松本の旧郡中村役場を利用して開園した。その後、現在の場所へ新築移転したが、そのとき、「あさひ保育所」と改名した。ふたば保育所の前身は「増福寺保育所」で増福寺の本堂を借りて一九五〇(昭和二五)年四月一日に開園し、「みどり保育所」は大字上吾川の集会所の提供を受けて開園した。また、「いその保育所」は伊曾能神社社務所で、「みたに保育所」は正円寺で保育を始めた。その他の保育所についても開園に際しては地域住民の熱意と努力があった。
 また、市内で唯一の民間保育施設である「さくら幼児園」は一九五一(昭和二六)年四月一〇日から保育を始めた。これより先の前年八月に現在地にキリスト教の郡中南教会堂が新築され、牧師の米岡寅次郎・富子夫婦が松前町から移転居住するようになった。郡中町は保育所入所希望者が多いことを理由に強く保育所の開園を米岡夫妻に要請した結果、当初定員四三人、園長一人、保育士二人の小規模ながら宗教法人日本基督教団郡中南教会所属保育所として「さくら幼児園」が創設され、一九八三(昭和五八)年一〇月一日社会福祉法人エリム会となった。
 一九八五(昭和六〇)年には市内に公立・私立・へき地保育所が一一箇所(定員六九三人)設置されていたが、少子高齢化の進展による入所児童の減少や園舎老朽化による建て替えのため、保育所の移転建て替え統合・廃園が行われた。「みあき保育所」は一九八四(昭和五九)年に移転新築したが二〇〇〇(平成一二)年四月一日に廃園、「みどり保育所」は一九九二(平成四)年移転新築、「なかむら保育所」は一九九四(平成六)年に元の場所で改築、「みたに保育所」と「いその保育所」は統合して上野に「うえの保育所」として二〇〇〇(平成一二)年四月開園した。また、唐川地区にへき地保育所として設置されていた「わかば保育所」も二〇〇一(平成一三)年四月一日廃園となった。
 二〇〇三(平成一五)年四月一日現在の保育所は第57表のとおりである。

 家庭児童相談室
 一九六四(昭和三九)年七月二二日付けで愛媛県婦人児童課から「家庭児童相談室の設置運営について」の通達があり、当市では、関係者で協議の結果これを設置することになった。そこで一九六七(昭和四二)年七月一日、伊予市市民会館の一室を相談室にあて、同年一〇月二七日付け「家庭児童相談室の設置運営について」の指示に従って、相談業務を円滑に行うための設備及び備品などを整え、相談員二人を配置した。
 家庭児童相談室における相談事項は、家庭における児童養育の技術に関する事項及び児童にかかる家庭の人間関係に関する事項、その他家庭児童の福祉に関する事項である。そのうち主として訪問による指導及び法的措置を必要とするケースは、家庭児童福祉の業務に従事する社会福祉主事がこれを担当し、主として所内における相談指導で解決されるケースは家庭児童相談員がこれを担当することになっているが、画一的に分類することがむずかしいので相互の協調連絡を密にしている。
 相談室の機能を十分に活用するためには民生児童委員及び主任児童委員の協力が不可欠である。
 家庭児童相談室で扱った相談件数を年度別に掲げると第58表のとおりである。

 児童手当
 義務教育就学前の児童を養育している人に対して児童手当を支給している。これは、伊予市児童手当支給条例(昭和四五年一〇月一日条例第一二号)に蕎づいて一九七〇(昭和四五)年一〇月一日から扶養している児童で三人をこえる児童一人につき月額一、〇〇〇円か支給された。その後、児童手当法(昭和四六年五月二七日法律第七三号)の制定に基づいて一九七二(昭和四七)年一月一日から国・都道府県・市町村と事業主が費用を持ち合い、児童を養育する人に児童手当を支給することになった。目的は家庭生活の安定と次代の社会を担う児童の健全育成・資質の向上を図ることである。ただし、所得による制限もあり、一定額以上の場合には児童手当は支給されない。
 現行制度によると、義務教育就学前の児童を一人でも含む一八歳以下の児童を養育している人に対して、第一子・第二子については児童一人につき月額五、〇〇〇円、第三子以降については月額一万円が義務教育就学前まで支給されることとなっている。
 二〇〇四(平成一六)年四月一日から支給対象が小学校三年生まで拡大された。

 児童扶養手当
 児童扶養手当法(昭和三六年一一月二九日法律二三八号)に基づいて、一九六二(昭和三七)年一月一日から児童扶養手当制度が施行された。この制度は父と生計を同じくしない(父の障害の場合を含む)義務教育修了前の者と二〇歳未満で障害の者を監護する母または養育する者に対して手当を支給することにより児童の福祉の増進を図ろうとしたものである。当初の手当の月額は児童一人の場合八〇〇円、二人の場合一、二〇〇円、三人以上の場合は一人につき二〇〇円を加算した額であった。その後、手当額や支給対象児童の範囲等の改正が行われ、現在は対象児童の年齢が一八歳まで引き上げられ、手当の月額は、児童一人の場合は四万二、〇〇〇円、二人の場合は五、〇〇〇円を加算した額、三人以上の場合は三人以上の一人につき三、〇〇〇円を加算した額となっている。
 また、二〇歳未満の知的障害児、精神障害児若しくは身体障害児を監護する父か母または養育する者に対しては特別児童扶養手当法(昭和三九年七月二日法律第一三四号)に基づいて、現在は児童一人に対し、その障害の程度により一級月額五万一、一〇〇円、二級月額三万四、〇三〇円が支給されている。

 災害遺児福祉手当
 交通遺児については、愛媛県交通災害遺児福祉手当支給規則(昭和四五年一〇月二〇日愛媛県規則第五四号)によって援護措置が講じられていたが、一九七二(昭和四七)年四月一日から、愛媛県災害遺児福祉手当支給規則(昭和四七年三月三一日愛媛県規則第一五号)の制定によって前規則は廃止され、交通遺児のほかに新たに航空事故や労働災害及び天災等による遺児についても支給されることになった。現在では、高等学校卒業までの遺児一人につき月額三、〇〇〇円の福祉手当が支給されている。

 児童館
 児童館は、児童福祉法第四〇条に定められた児童厚生施設の一つとして、「児童に健全な遊びを与えて、その健康を増進し、又は情操をゆたかにすることを目的とする施設」である。子どもたちは、児童館の施設や設備を主体的に利用するとともに、そこに展開される諸活動、行事にも積極的に参加して、ともに遊び、ともに高めあう体験を共有し、遊びの楽しさを味わうとともに、他者との人間関係力を築いていく。このような児童館機能を整理すると、利用児童に対するサービスの提供と留守家庭児童などの健全育成、児童のための地域センターといえる。
 伊予市では二〇〇三(平成一五)年四月一五日、米湊の旧松山地方法務局伊予出張所跡に市民待望の児童館「あすなろ」を開設した。児童館「あすなろ」は国から建物を譲り受け、改築。鉄筋コンクリート二階建て、三五四平方メートルで事業費は四、七六一万円。二階部分は郡中小学校の放課後児童クラブ室として使用している。
 「あすなろ」には遊戯室のほか、パソコンを備えた創作活動室や図書室、集会室、談話室、相談室などを備え、利用状況は、午前中は幼児や親子、午後は小学校低学年で、毎日平均約六〇人となっている。
 運営は伊予市社会福祉協議会に委託し、伊予農業高等学校の協力で工作教室を開くなど、定期的な事業を展開している。

第56表 児童福祉施設への措置児童数

第56表 児童福祉施設への措置児童数


第57表 保育所一覧表

第57表 保育所一覧表


第58表 年度別家庭児童相談室相談件数

第58表 年度別家庭児童相談室相談件数