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中山町誌

第三節 第一次世界大戦と郷土

 日露戦争後日本は、東洋の日本から、世界の日本へと躍進していた。
 当時、ヨーロッパの情勢は非常に険悪であった。大正三年(一九一四)六月オーストリア皇太子がセルビアの一青年に射殺されたことがきっかけとなってドイツ・オーストリア等の同盟軍と、フランス・ロシア等の連合軍との間に戦端が開かれた。イギリスが同盟軍に宣戦を布告したため、日英同盟を結んでいた日本もドイツに宣戦布告した。日本はドイツの東洋の根拠地である膠州湾を攻撃し、またドイツ国領の南洋諸島を占領、艦隊を地中海に派遣して連合軍に協力した。この戦争には利害関係の伴う各国が双方に加わり、遂に世界を挙げての大戦争となり、大正七年終戦となるまで五年間の戦乱が続いた。この戦争には、中山町からの出征者はなかった。