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久万町誌

4 直瀬地区

 直瀬小学校、明治五年には寺子屋教授により浄福寺で松本房太郎が教えていた。同七年、勧善学校となり浄福寺下側で授業が行われ、就学する者約三〇名であった。同一四年、簡易小学校となり、扇田善助校長就任、児童数三四、五名であったという。同二五年、勧善簡易小学校を上直瀬尋常小学校と改称した。(一〇月一日を開校記念日とする)
 下直瀬においても同一三年既に学校ができており、同一六年の記録には、直正学校と書かれている。同一九年に、直瀬村勧善分校と改称した。同二三年一〇月、現在下直瀬公民館のある位置に校舎が新築落成した。同二五年、下直瀬尋常小学校と改称した。
 当時の就学率はまだ低く、特に女子に未就学者が多かったようである。
 同三二年には、就学児が増加して、校舎狭隘となり、校舎改築が行われ、二月より一二月まで再び浄福寺が仮校舎に充てられた。この年、二学級編成となり、児童数は男五〇名、女三二名、計八二名であった。同三五年、久万高等小学校組合を脱して、高等科を併設し、上直瀬尋常高等小学校と改称して、校舎を新築し三学級となった。その後、就学率は逐次良好となり、同四一年には一〇〇%に達し、校舎を改造して、四学級編成となった。
 同四二年には、義務教育年限が六年に延長され、下直瀬尋常小学校の尋五・尋六児童は、上直瀬尋常高等小学校に通学することになり、更に、杣川村石墨尋常小学校からも通学することとなった。そのため校舎の改造・修理・拡張が行われた。
 同四五年、篠崎覚一郎校長が着任し、下直瀬尋常小学校との合併の必要から協議を重ね、大正二年に合併が決定され、直瀬尋常高等小学校となった。
 その後、直瀬尋常高等小学校移転新築のため、位置決定で論争の末、現在の直瀬乙九八番地に決定した。大正五年一一月六日、校舎新築移転を完了。上・下直瀬両校の児童生徒を一校に集めて授業が開始された。
 昭和一四年一一月三〇日午后十一時ごろ出火、職員室・理科室・六教室等を焼失した。幸い講堂・西校舎等が火災をまぬがれたので、これらと教員住宅を改造して授業を継統した。
 同一六年、国民学校令が公布され、直瀬国民学校と改称した。
 同一七年八月二三日、現在の本館が新築竣工し、落成式を挙行した。
 記録によると、「……願ワクバ、新シキ本館ヨ永遠ニ多幸ナレカシ、上棟式後畑野川直瀬両校成徳子供展覧会、角力、曜リナドノ余興、撒餅アリ、全村民皆祝酒ニ酔ヒテ喜ビ合ヘリ」とあり盛大な落成のようすをうかがうことができる。この年、初等科男子一四五名、女子一四七名、計二九二名、高等科男子五〇名、女子五六名、計一〇六名であった。学級数八学級、各学年一学級宛、通学区域、直瀬地域(戸数二七一戸、人口一六九七名)。同年一月二八日、師範学校長及び県視学委員二名を迎えて国語教育研究大会を行った。
 同一八年、勤労報国隊が編成され丸太運搬、道路修理等に出役した。児童生徒数、初等科三一〇名、高等科九五名、計四九五名であった。十月二五日、視学委員を迎えて算数教育研究会を行った。
 同二〇年、運動場開墾、校舎屋根擬装作業、防空壕掘り、ガラス紙張り等を行う。同二一年三月一日、給食開始(奇数、偶数学年別)、七月一日、視学員二名を迎え理科研究会を実施、八月四日、昭和四年八月以来の奉安殿のとりのけが行われた。
 同二二年、中学校と小学校が分離設置される。二月二一日、父母教師会(従来の母の会、教育後援会を統合)結成。学制改革いにより、直瀬小学校となる。同二八年、中学校新校舎へ移転、小学校は完全独立校舎となった。同三三年一〇月、音楽室、図工室等の特別教室を新築。同三四年二月、全校給食をはじめた。三月、久万・川瀬・父二峰を合併し久万町発足。久万町立直瀬小学校と改称。同三五年一一月、県指定道徳教育研究大会を実施した。同三七年九月三〇日、校旗を作る。校章制定。
 同三九年五月一二日、体育館落成式を行った。同四○年一月、段組からの水通パイプ敷設工事完了(全長約二〇〇〇㍍)。同四二年一一月二二日、小中学校兼用プール落成式を行う。この工事に関して、付属建物は校下篤志家の寄付によって建設された。同四七年九月、学校用スキー場が完成した。一二月、久万町給食センターによる給食を開始する。
 同四九年一二月、県PTA大会で下直瀬子ども会表彰、愛媛子ども美術展で一七名が表彰される。同五○年八月、本館玄関シャッター完成する。一一月、各教室ヘテレビを取りつけ、宿直室はスタジオ室となる。同五一年九月、国旗掲揚台、校訓碑完成、校歌が制定された。一〇月八日、本校で県へき地教育研究大会を行った。(下直瀬は歌舞伎、上直瀬は万才を披露)、県農協共済より習字優秀学校賞を受賞した。
 同五二年六月、子ども郵便局貯金局長賞を受ける。一一月、本館二階の手洗場を設置した。一二月、優良PTA賞を受けた。同五三年一一月、子ども郵便局知事表彰を受ける。同五四年二月、六年生の万才が南海放送で紹介された。三月、スキー場の雪すべりを「愛媛新聞」で紹介した。
 同五五年六月、運動場東側石垣改修を行う。一〇月、子ども郵便局、大蔵大臣・日銀総裁表彰を受ける。同五六年四月、石墨小学校廃校につき、六年生(四名)本校へ転入学した。五月、少年消防クラブを結成した。七月、北条市安居島小学校での臨海学校へ全児童七〇名が参加した。一一月、本校スキー教室を愛媛新聞で紹介した。直瀬小学校百周年記念式典及び「大望」の像除幕式を挙行した。(一一月一五日を開校記念に改めた)
 同五七年八月、松山市泊小で臨海学校を実施した。同五八年一一月、管内大会会場校(第一〇群)として研究会を開催する。同六〇年三月、少年消防クラブ、消防庁長官賞を受ける。一一月、県指定地域社会学校教育研究会発表会を行った。同六一年八月、全教室へ放映装置を設置する。十一月、学校田の稲こぎを行い、老人との交流を開始する。
 同六二年一〇月、優良子ども郵便局として郵政省貯金局長賞を受ける。同六三年一月、学校給食県教育委員会賞を受ける。同六三年六月、プールへの水道工事が完了する。一〇月二八日、学校給食運営で文部大臣表彰を受ける。一一月一五日、開校記念行事ともちつき(愛媛新聞で紹介)、ふるさと学習会、三世代会食等を行う。二五日、県同和教育指導訪問を受け研究協議会を行う。平成元年二月、もちつき大会と昔の遊び道具の製作と遊び方を学んだ。(老人会指導による)また、管内大会事前研会場校(第一四群)として、「小規模校の特性を生かした自己教育力の育成」を研究テーマに算数科の授業を通して、研究協議を行った。

直瀬小学校学級編成沿革

直瀬小学校学級編成沿革