データベース『えひめの記憶』
久万町誌
13 視聴覚教育(視聴覚ライブラリーを含む)
視聴覚教育とは、教育の機会を広げ、学習の効率を高めるための教育方法である。即ち、視聴覚機材・教材を学習の中にとり入れ、学習指導を効果的にするための方法である。
現在のように視聴覚機材が学習の場で活用されるようになったのは、終戦後からのことである。戦後、占領軍は大量のナトコ16ミリ映写機と、アメリカで制作された教育映画を、各部道府県に貸与した。これは、社会教育の振興を意図したものであったが、しだいに学校教育にも影響を及ぼすようになった。そこで文部省は、昭和二七年に「視聴覚教育の手引」を編集し発表した。その後、学校や社会教育の場で、フィルム映写機、スライド映写機が使われるようになった。やがて機材としてテレビ、オーバーヘッドが登場し、シート式録音機、ビデオテープレコーダー、ランゲージラボラトリー、反応分析装置などが開発され、コンピューター、ファクシミリなどまで導入されるようになった。
久万町においても視聴覚教育の重要性を、早くから認識していた。昭和五〇年(一九七五)四月に、「久万町視聴覚ライブラリー」を設立した。視聴覚ライブラリーは、社会教育および学校教育において必要とされる視聴覚機材・教材を集中的に保有し、それぞれの求めに応じて、これを貸し出し、あるいは指導助言を行う機関として、各地に整備されていった。視聴覚ライブラリーは、ことに近年のように情報の多様化とその処理能力が問われるようになるとますます重要になってくる。急激な社会の変貌は、社会教育や学校教育の学習効率をあげるために学習方法の改善を要求しはじめた。それだけに、視聴覚教育の中核的拠点である視聴覚ライブラリーに対する期待もまた高まっているといえよう。
視聴覚ライブラリーは、視聴覚機材の保有と貸出しばかりでなく、教材の解説資料・広報資料の作成と配布、視聴覚機材取扱い技能者の養成講習会、視聴覚教育研究会、試写会、各地域公民館への巡回指導、自作教材の制作指導・援助、放送利用学級の開設、民間活力の導入(ビデオリポータークラブ)等に積極的に取り組んできた。
技能者養成講習は、昭和五〇年の四五名をかわきりに、年々着実に技能者を養成している。技能者として必要な基本的事項についての講話と実習を二日間にわたって実施する。地域や職域での視聴覚教育の振興に一役かっているわけである。昭和六三年には、受講者だけでも一八六名に達している。
自作教材の制作にあたっては、何の目的で、だれ(何を)を対象に、どのような人や団体が利用するかを念頭におき、しっかりとしたコンテを作成しなければならない。更に、時間と労力を要する仕事であるから、担当者はもとより、協力者や関係者の日常の情熱と努力が要求される。自作教材は、地域の風景や人物、特に身近な人が登場するから、地域に密着した生きた教材となる。そのため、学習者が画面に集中するばかりでなく、興味や関心の高まりもあり、すぐれた教材となる。制作は手近かなVTRと、保存的な8㎜映画に区別し、年次計画に従って進めていくとよい。自作教材でコンテストに入賞したものは、上表のとおりである。
私たちの日常生活の中でテレビが占める時間帯は、相当なものであり、テレビは、今や日常生活から切り離すことのできないものとなっている。また、テレビの視聴時間も年々延びている。それだけに、とかくテレビの悪い面ばかりを批判する傾向がある。本来テレビは、視聴者(学習者)が主体性をもって番組を選定し、学習や実生活の向上に役立てていくべきものである。情報化社会の中で、最も重要なウェイトを占めるテレビを、積極的に利用し、暮らしや生活に役立てようと、放送利用学習を開設している。
昭和五一年(一九七六)に四つのコースで、九回のテレビ利用スクーリングを開設し、好評を得た。翌五二年は、テレビ母親教室と時事問題教室を開設した。テレビ母親教室では、学級生か自らの手で番組を制作する段階まで発展し、NHKのテレビ番組にも出演した。今日では、自主的なグループも組織され、その活動内容は高く評価されている。
参考までに、久万町視聴覚ライブラリー設置条例に基づいて設置している、視聴覚機材と、視聴覚教材の目録を掲げておく。なお、「視聴覚ライブラリーに関する事務の委託に関する規約」により、幾つかの事業については郡内の他町村から久万町が委託を受けて実施しているものがある。
各種コンクールにおける入賞作品 |
視聴覚機材一覧表 1(久万町立視聴覚ライブラリー)(58、4) |
視聴覚機材一覧表 2(久万町立視聴覚ライブラリー)(58、4) |
16・8ミリ映画フィルム目録 1 |
16・8ミリ映画フィルム目録 2 |