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美川村二十年誌

四、労働慣行

 村のつきあいのところで述べたように村は共同体を温存している。部落が総出で出役する。いで掘り、道つくりなどの定期共同作業をはじめ、臨時の出役、また年中行事や信仰行事等にも各戸一人出役するなどの義務があり、これらの出役を「コウロク」という。
 これに対して、個人間の労力交換や共同作業を「イイ」「テマガイ」「モヤイ」などともいう。しかし、これは同時に労力の合同を意味しているところから「コウロク」と呼ぶこともあり、今日かなりあいまいになってきている。
 家に病人その他の事故があって農作業が滞ったりするときは組の者がコウロクをするが、早魃で水不足のため田植えができないときは共同田植えをする。いわゆるモヤイ植えであるが、それにはブウエ(歩植え)とオシダ(押し田)がある。なお、事情があって「コウロク」に不参するときは、デブソク(出不足)として日当を拠出しなければならないことになっている。
 年間を通じて村人が農作業を休む日はだいたい決まっていた。正月三ヵ日・七日正月・十五日・やぶ入り(十六日)二十日正月・二月入り(一日)・彼岸・社日・三月節供・春祭り・五月節供・田休み・たなばた・夏祭り・栗節供・お盆・秋祭り・堂山祭りなどである。これらの日には、つき餅・むし餅・ぼた餅・すし・ごもくなどをこしらえ食べるのを楽しみにしていた。
 明治になり七曜制が採用されてから休日のずれが生じ、それと生産事情の変遷にともなって、農村から休日が消滅していきつつある。しかし最近になって農村の休日問題が再び考えられはじめた。興味あることだと思う。