データベース『えひめの記憶』
柳谷村誌
一二 古文書(本谷 立野友義寄贈)
(一) 大野真昌公御氏神之由来
舘野兵衛大夫江被下置候御奉書並宝物之山来写
猶年算改
「大野直昌公御氏神之由来」は、西谷村の社人であった、舘野家代々の社人名と、五代目舘野兵衛大夫ほかについて、久万大除城主大野直昌公から、御墨付の拝領などが記されている。
その由来をみてみると、元亀二年(一五七一)九月一八日、久万山菅生村三嶋宮の御神祭で、御神輿が、久万町村境の谷川にさしかかったところ、御神輿がたちまち重くなり、参拝のためそこに居た、城主大野直昌公が、御神輿の戸を開けられたところ、小豆八斗目成る大蛇が、御神体より現われ、直昌公は大変驚いて、早く御神体を三嶋木殿へ安置奉るよう、多くの神職どもに下知したという。
しかし恐れをなし、大蛇に近寄ろうとする神職は一人もなかった。その時、舘野兵衛大夫が進み出て、直昌公の御下知を仰いだ。兵衛大夫は、御神体の大蛇に近づき奉祓して、狩衣に御神体をおおいて、無事三嶋宮へ移し奉ったという。
直昌公は大変歓ばれて、その賞として、御墨附と、備前長船住長光作太刀一腰並に馬具を拝領し、舘野家の宝物にしたと記されてある。
御墨附は、元亀二年(一五七一)九月二四日、兵衛大夫に賜わったもの、天正五年(一五七七)八月一日、七代新三郎大夫、天正一五年(一五八七)三月一七日、八代佐衛門大夫が拝領したものである。