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新居浜市

深尾権太輔(生年不詳〜1720)

 塩田開発功労者。西条藩領新居郡垣生村、郷村、松神子村(現新居浜市)の地先海岸は、屈曲のほとんどない遠浅海岸で、干満の差が大きく、風波の影響も少ない。黒島干潟に注目し、塩浜築造を奨めたのは阿波の浜師(塩田経営師)六左衛門である。話を聞いた黒島浦の年寄五兵衛は西条藩留守居役森惣兵衛に届け出たところ、元禄14年(1701)9月、西条藩より五兵衛に対して塩田開発の世話をせよとの指示があった。五兵衛の奔走により、元禄16年升屋源八・讃岐屋新左衛門・奥村丈助・深尾権太夫らが塩浜開発を承諾した。開発の中心になった権太夫(信濃国出身)は、宝永元年(1704)着工したが、資金難や災害(宝永4年の大地震,同6年の高潮)の連続で工事が進まず、享保5年(1720)権太夫の死によって開発計画は中絶した。やがて天野喜四郎に継承される。(『愛媛県史 人物』より)

①明正寺

①明正寺

新居浜市黒島2丁目7-70

②深尾権太輔頌徳碑入口

②深尾権太輔頌徳碑入口

新居浜市黒島2丁目7-70

③深尾権太輔頌徳碑

③深尾権太輔頌徳碑

新居浜市黒島2丁目7-70