データベース『えひめの記憶』
中山町誌
八、 花卉
昭和三〇年代末には、テッポウユリが、四〇年代には、カイズカイブキ等の花木導入がなされたものの、産業としては生き残れず、自然消滅の形で生産がなされなくなった。野中地区で宮崎則数が施設栽培による鉢物を中心に花卉栽培を行っていた。一方では、生花用の切花、花木が一部で生産されるにとどまっていた。
昭和六二年に、カスミソウ・スターチスの切花栽培がはじまり、その後、全国的な国民生活の潤いと、豊かさを求める気運の高まりの中、花と緑への関心も高まり、花卉栽培が見直されるようになった。
中山町でも、一部有志と女性を中心にその気運が高まり、平成元年に、岡田久を中心に一五名で花卉研究グループが結成された。
その後、試行錯誤の中、立地条件を生かした中山間地向きの栽培体系の確立を図り、現在では主に、テッポウユリ・デルフィニューム・トルコキキョウ・ストックを中心に栽培している。
現在、栽培戸数は二〇戸と、少数ではあるが、販売代金一億円代の花卉栽培産地に成長させ、地域特産品に育てようと、会員一同生産に励んでいる。
花卉生産の推移は次表1-29のとおりである。