第三展示室(芸術)
名前 | 生年・没年 | 説明 | |
---|---|---|---|
松本 山雪 マツモト サンセツ |
生年不詳 ~1676 |
絵師 |
近江国(現滋賀県)生まれ。松山藩主松平定行に招かれ、御用絵師を務めたとされる。彼が住んだ石井周辺には、馬の絵の名手としての伝説が残されている。 |
吉田 蔵澤 ヨシダ ゾウタク |
1722~1802 | 南画家 |
松山城下(現松山市)生まれ。松山藩に仕え、功績顕著で、剛直爽快な人柄は長く士の規範と語り伝えられた。その墨竹は古今独歩、神品といわれ「竹の蔵澤」といわれた。 |
山本 雲渓 ヤマモト ウンケイ |
1780~1861 |
絵師 |
野間郡宮脇村(現今治市)生まれ。医師を主たる正業としながら、鳥獣画に秀でた画家として知られ、特に丁寧な毛描きの猿の絵で名高い。県内有数の絵馬の作者として知られている。 |
真鍋 豊平 マナベ トヨヒラ |
1809~1899 |
一絃琴家元 |
宇摩郡上野町(現四国中央市土居町)生まれ。京に上って一絃琴(須磨琴)の家元となり、弾琴の法を伝授した。後に、大坂(現大阪府)で琴や歌道を教え、全国各地に1,800人の門人があったといわれる。 |
三輪田 米山 ミワダ ベイザン |
1821~1908 |
書家 |
久米郡鷹子村(現松山市)生まれ。豪快で気宇壮大な字を書き、特に少字数の大字は造形性に勝れ、近代書の先駆をなした。酒を好み、酒至って後、筆をとったといわれる。 |
初代 佐々木 二六 ササキ ニロク |
1857~1935 |
陶芸家 |
宇摩郡村松村(現四国中央市村松町)生まれ。相馬焼に着想を得て、二六焼を創始した。へらで形づくり、独特の彩色と釉薬を施した写実的な人物・万年青・沢蟹・虎などの動植物を得意とした。 |
白井 雨山 シライ ウザン |
1864~1928 |
彫刻家 |
宇和郡鬼窪村(現西予市宇和町)生まれ。東京美術学校助教授の時、塑造科を新設する。後、同校教授として北村西望らを育て、文展の審査員も務めた。晩年には文人画復興を提唱した。 |
下村 為山 シモムラ イザン |
1865~1949 |
洋画家 |
松山城下の出淵町(現松山市)生まれ。明治23年の「慈悲者之殺生」で新鋭洋画家として脚光を浴びる。晩年は俳画家として新境地を開いた。牛伴という号で、俳人としても知られる。 |
川崎 九淵 カワサキ キュウエン |
1874~1961 |
能楽師 |
松山城下の魚町(現松山市)生まれ。葛野流の津村又喜に入門し、後、葛野流大鼓の権威として活躍した。後に、芸術院会員に任ぜられたり、能楽界では初めての人間国宝の認定を受けた。 |
杉浦 非水 スギウラ ヒスイ |
1876~1965 |
図案家 |
松山城下(現松山市)に生まれる。東京美術学校在学中に川端玉章、黒田清輝に師事。黒田の影響で、当時ヨーロッパで流行したアール・ヌーヴォー様式のデザインを日本的にアレンジした作品を手がける。三越図案部主任、多摩帝国美術学校( 現多摩美術大学) 校長などを歴任、日本のグラフィック・デザイン界で先駆的役割を果たした。 |
高畠 華宵 タカバタケ カショウ |
1888~1966 |
挿絵画家 |
宇和島城下の裡町(現宇和島市)生まれ。雑誌に挿絵を描き人気を博した。後に、美人画で一世を風靡し、大正ロマン期を代表する一人として「銀座行進曲」の歌詞にも登場した。 |
野間 仁根 ノマ ヒトネ |
1901~1979 |
洋画家 |
越智郡津倉村(現今治市吉海町)生まれ。二科展では何度も入賞。昭和27年には日展の審査員を務める。後に、一陽会を結成主宰する。幻想的なテーマに、絢爛たる色彩で描き異彩を放った。 |
高橋 貞次 タカハシ サダツグ |
1902~1968 |
刀匠 |
新居郡大町村(現西条市)生まれ。松山市石手に鍛練場を作り、龍王子貞次と号した。刀匠として初の人間国宝に認定され、浩宮・礼宮ご誕生の際にお守刀を謹作した。 |
宝生 弥一 ホウショウ ヤイチ |
1908~1985 |
能楽師 |
松山市小唐人町(現松山市)生まれ。能楽のワキ方として活躍し、品格の高い重厚な芸風は多くの賞を受け、昭和56年には人間国宝にも認定された。後には芸術院会員となった。 |
石井 南放 イシイ ナンポウ |
1912~1991 |
日本画家 |
温泉郡難波村(現松山市上難波)生まれ。吉田蔵澤の墨竹に感銘を受け、水墨画の世界に入る。画題の多くは樹。特に松が有名で「松の南放」といわれた。吉田蔵澤の研究者としても知られる。 |
村上 三島 ムラカミ サントウ |
1912~2005 |
書家 |
越智郡瀬戸崎村(現今治市上浦町)生まれ。辻本史邑に師事。日展で昭和23年入選、同39年文部大臣賞、同43年芸術院賞受賞。昭和36年、日本書芸院理事長となり、関西書道界の発展に尽力した。同60年、芸術院会員。平成10年、文化勲章受章。 |
丹下 健三 タンゲ ケンゾウ |
1913~2005 |
建築家 |
大阪府堺市で生まれ、大正9年から今治市で暮らす。第二次世界大戦後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。代表的な作品に広島平和記念公園、東京代々木の国立屋内総合競技場、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京都新庁舎など。昭和55年文化勲章。同62年プリツカー賞。 |
伊藤 五百亀 イトウ イオキ |
1918~1992 |
彫刻家 |
新居郡大保木村(現西条市黒瀬)生まれ。多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)で学び、吉田三郎に師事。昭和17年、文部省美術展入選、翌年、特選に入った。終戦後は一時彫刻を断念したが制作活動を再開、昭和29、30年の日展で連続特選。同49年の日展出品作品「うたかたの譜」は文部大臣賞に輝いた。 |
今井 久仁恵 イマイ クニエ |
1930~2011 |
オペラ歌手 |
今治市生まれ。昭和33年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、日本人初のプリマドンナとして「蝶々夫人」を歌い一躍有名となる。日本とスペインの友好親善のため「日本・スペイン歌の協会」を設立、会長として活躍。昭和61年、スペインより日本人声楽家初の「文化勲章」を贈られた。 |
真鍋 博 マナベ ヒロシ |
1932~2000 |
イラストレーター |
宇摩郡別子山村(現新居浜市)生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。昭和35年、朝日ジャーナル連載「第七地下壕」で第一回講談社さしえ賞受賞。星新一、筒井康隆などのSF小説の挿絵を多く描いた。また、大阪万博、沖縄海洋博、科学博などにも参画し、多方面で活躍した。 |
白鷹 幸伯 シラタカ ユキノリ |
1935~2017 |
鍛冶職人 |
松山市に生まれる。昭和52 年、薬師寺西塔の再建用の和釘を製作。薬師寺創建当時に使われた釘の形状、鋼材、鍛造法を研究し、千年の耐久性を兼ね備えた白鳳型和釘を復元した。その後、室生寺や錦帯橋、大洲城や平城宮などの修復、再建用の和釘なども製作し、日本を代表する伝統建築物の保存・復元に尽力した。 |