第五展示室(スポーツ)
名前 | 生年・没年 | 説明 | |
---|---|---|---|
初代 朝汐 太郎 アサシオ タロウ |
1864~1920 |
大相撲大関 |
宇和郡八幡浜浦(現八幡浜市)生まれ。本名増原太郎吉。13歳で大阪相撲に入り、後、東京相撲の高砂部屋に入門。明治31年大関に昇進。「朝汐」「朝潮」の名は高砂部屋の象徴となる。 |
二代目 朝潮 太郎 アサシオ タロウ |
1879~1961 | 大相撲大関 |
新居郡玉津村(現西条市)生まれ。本名坪井長太郎。23歳で初代朝汐に弟子入りし、35歳で大関に昇進した。後、高砂親方として、横綱の男女ノ川、前田山、東富士などを育てた。 |
押川 清 オシカワ キヨシ |
1881~1944 |
プロ野球創設者 |
宮城県仙台区(現宮城県仙台市)生まれ。早大野球部で活躍後、大正9年に日本最初の職業野球チーム「日本運動協会」の創設に参画。後にプロ野球の後楽園野球倶楽部の社長に就任した。 |
鶴田 義行 ツルタ ヨシユキ |
1903~1986 |
水泳選手 |
鹿児島県鹿児島郡伊敷村(現鹿児島市)生まれ。昭和3年のアムステルダム五輪200m平泳ぎに優勝、日本水泳界最初の金メダルを獲得。ロサンゼルス五輪でも優勝。昭和23年から松山市に居住した。 |
佐伯 勇 サエキ イサム |
1903~1989 |
プロ野球オーナー |
周桑郡丹原町(現西条市丹原町)生まれ。近畿日本鉄道の代表取締役社長、会長を歴任。近鉄(現オリックスバファローズ)の発足時からのオーナーで、近鉄の強化とリーグの繁栄に情熱を傾けた。 |
藤本 定義 フジモト サダヨシ |
1904~1981 |
プロ野球監督 |
松山市三番町生まれ。松山商業・早大を卒業。巨人監督として、三原、水原、川上、千葉らの名選手を育てた。その後、プロ野球各球団の監督を28年歴任した。 |
森 茂雄 モリ シゲオ |
1906~1977 |
野球監督 |
松山市萱町生まれ。松山商業、早大を卒業。中等野球や大学野球、プロ野球の監督として好選手を育てた。後に、大洋球団代表に就任し、昭和35年リーグ優勝に導いた。 |
武田 義孝 タケダ ヨシタカ |
1911~1943 |
体操選手 |
越智郡上朝倉村(現今治市)生まれ。日本がオリンピック体操競技に初参加した昭和7年のロサンゼルス大会と同11年のベルリン大会に出場。ベルリン大会では体操チームの主将として選手たちをまとめ、後の「体操王国日本」の礎を築いた。 |
道上 伯 ミチガミ ハク |
1912~2002 |
柔道家 |
西宇和郡矢野崎村(現八幡浜市)に生まれる。大日本武徳会武道専門学校卒。半世紀に渡り、戦前は東亜同文書院( 中国)、戦後はヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど54 カ国で最高技術顧問として指導、海外に武士道精神を伝えた。東京五輪金メダリストのヘーシンクをはじめ弟子の数は1億人を超える。試合は、常に誇りをかけた真剣勝負であり、生涯無敗を誇った。 |
前田山 英五郎 マエダヤマ エイゴロウ |
1914~1971 |
大相撲第39代横綱 |
西宇和郡喜須来村(現八幡浜市)生まれ。本名萩森金松。しこ名は病気を治療してくれた前田博士に由来する。戦後初の横綱となり、昭和24年の引退後は高砂親方として高見山等の弟子を育てた。 |
坪内 道則 ツボウチ ミチノリ |
1914~1997 |
プロ野球選手 |
伊予郡郡中町(現伊予市)生まれ。松山商業卒。昭和11年プロ野球大東京に入団。昭和23年球界初の1000試合出場と1000本安打を達成し、後、中日監督やコーチ等を歴任した。 |
景浦 将 カゲウラ マサル |
1915~1945 |
プロ野球選手 |
松山市永代町生まれ。松山商業卒業。昭和11年大阪タイガースに入団。投手兼野手として、最優秀防御率投手、首位打者、打点王などのタイトルを獲得して活躍したが、昭和20年に戦死した。 |
筒井 修 ツツイ オサム |
1917~1990 |
プロ野球選手 |
香川県善通寺市生まれ。昭和10年松山商業全国優勝時の遊撃手で4番打者。巨人軍入団。戦傷のため戦後は審判員となり、審判員初の三千試合出場を達成し「名人」といわれた。 |
千葉 茂 チバ シゲル |
1919~2002 |
プロ野球選手 |
新居郡西条町(現西条市)生まれ。松山商業を卒業後、昭和13年東京巨人軍に入団し、内野手として、巨人の第一・第二黄金期の原動力となった。後、近鉄監督も務める。 |
河野 昭 コウノ アキラ |
1929~1995 |
体操選手 |
宇和島市元結掛生まれ。昭和31年のメルボルン五輪男子体操団体で銀メダルを獲得。「あん馬の河野」といわれ、体操日本の基礎を築いた。後、愛媛大学教育学部教授を務めた。 |
藤田 元司 フジタ モトシ |
1931~2006 |
プロ野球選手 |
新居浜市出身。西条北高等学校(現西条高等学校)を経て、昭和32年、巨人軍に入団し17勝で新人王獲得。その翌年から2年連続で最高殊勲選手となった。巨人軍監督時代は、優勝4回(うち日本一2回)をはたした。平成8年野球殿堂入りとなった。 |
伊藤(山泉) 和子 イトウ カズコ |
1935~ |
卓球選手 |
大阪府生まれ。津島高校から大阪樟蔭女子大学へ進学。世界卓球選手権では女子団体で3回、ダブルス、混合ダブルスで各1回優勝。平成14年には、全日本卓球選手権女子シングルスで通算100勝を達成。平成23年、世界卓球殿堂入り。 |
吉村 昌弘 ヨシムラ マサヒロ |
1936~2003 |
水泳選手 |
宇和島市和霊町生まれ。宇和島東高校から日本大学へ進学。在学中の昭和31年のメルボルン五輪200m平泳ぎで五輪新記録を出して銀メダルを獲得した。 |
松田(山下) 治廣 マツダ ハルヒロ |
1938~ |
体操選手 |
宇和島市大浦一区生まれ。宇和島東高校から日本体育大学へ進学。昭和39年の東京五輪で体操男子団体と種目別の跳馬で優勝。平成12年に体操国際殿堂入りを果たす。 |
田口 信教 タグチ ノブタカ |
1951~ |
水泳選手 |
周桑郡壬生川町(現西条市)生まれ。昭和47年のミュンヘン五輪100m平泳ぎで世界新記録で優勝、200m平泳ぎでは銅メダルに輝いた。鹿屋体育大学名誉教授、医療創生大学特任教授。 |
大城戸 功 オオキド イサオ |
1955~ |
剣道選手 |
松山市美沢生まれ。新田高校から松山商科大学(現松山大学)へ進学。全日本学生剣道選手権大会で優勝し、昭和63年ソウルで開催された世界剣道大会の個人戦でも優勝した。 |
小野 誠治 オノ セイジ |
1956~ |
卓球選手 |
西宇和郡三瓶町(現西予市三瓶町)生まれ。旧三瓶高校から近畿大学へ進学。昭和54年世界卓球選手権大会シングルスで優勝、団体戦3位となった。昭和61年、全日本卓球選手権大会男子シングルス優勝、平成2年には日本リーグで初の通算100勝を達成した。 |
真鍋 和人 マナベ カズシト |
1958~ |
重量挙げ選手 |
新居浜市黒島生まれ。新居浜工業高校から中央大学へ進学。昭和56年の世界選手権52Kg級で3位。昭和59年ロサンゼルス五輪重量挙げでは銅メダルを獲得した。 |