第二展示室(社会)
名前 | 生年・没年 | 説明 | |
---|---|---|---|
一遍 イッペン |
1239~1289 |
鎌倉時代の僧 |
道後の宝巌寺の別院で豪族・河野通広の子として生まれる。全国を遊行し、念仏札を配る賦算を行った。また、踊念仏を行い、貴賎を問わず老若男女の支持を受けた。 |
村上 武吉 ムラカミ タケヨシ |
1533~1604 |
能島村上氏頭領 |
伊予国越智郡能島(現今治市)を本拠とし能島村上氏と呼ばれる。毛利元就が陶晴賢を破った厳島合戦では陶方の軍船を撃破、毛利氏の勝利に貢献したと伝えられ、瀬戸内海一の水軍勢力を誇った。また、天正4年の木津川口合戦で織田水軍に大勝するなど勇名を馳せた。 |
作兵衛 サクベエ |
1688~1732 | 篤農家 |
伊予郡筒井村(現松前町)生まれ。享保の大飢饉の際、種子の大切さを思い、麦種を食用とせず、麦袋を枕として残し餓死した。人々からは「義農作兵衛」といわれ追慕されている。 |
武左衛門 ブザエモン |
生年不詳 ~1795 |
吉田騒動指導者 |
寛政5年、吉田藩(現宇和島市吉田町)で起こった吉田騒動と呼ばれる百姓一揆の指導者として、一揆を成功に導いた。その後、吉田藩は指導者の追及を開始、武左衛門は捕縛・斬首された。後世、武左衛門に対する義民伝承が生まれ、昭和2年には、顕彰碑が建立されている。 |
児島 惟謙 コジマ コレカタ |
1837~1908 |
大審院長 |
宇和島城下の堀端通り(現宇和島市)生まれ。大審院長在任中に大津事件が起こり、政府の干渉に抗して、司法権の独立を守り「護法の神様」といわれた。後、貴族院議員や衆議院議員を務めた。 |
秋山 好古 アキヤマ ヨシフル |
1859~1930 |
軍人(陸軍大将) |
松山城下の歩行町(現松山市)生まれ。日露戦争で、騎兵を率い、奉天会戦などで勝利に導き「我が国騎兵の父」と仰がれた。後、北予中学校(現松山北高)の校長となり、後進の育成に尽くした。 |
森 盲天外 モリ モウテンガイ |
1864~1934 |
地方政治家 |
伊予郡西余戸村(現松山市)生まれ。32歳で失明したが余土村長に推され、模範村の盲目村長として名をあげた。後、松山盲唖学校や青年教育のための天心園を設立した。 |
二宮 忠八 ニノミヤ チュウハチ |
1866~1936 |
飛行機発明者 |
宇和郡矢野町(現八幡浜市)生まれ。ライト兄弟の有人動力飛行成功より12年前に、ゴム動力のカラス型の自作模型飛行器の飛行実験に成功した。後、玉虫型飛行器を発明し、飛行機開発の先駆者となった。 |
秋山 真之 アキヤマ サネユキ |
1868~1918 |
軍人(海軍中将) |
松山城下の歩行町(現松山市)生まれ。日露戦争の作戦参謀として日本海海戦では意表をつく敵前逐次回頭(丁字戦法)で大勝に導いた。俳人の正岡子規とは松山中学校時代の同級生。 |
政尾 藤吉 マサオ トウキチ |
1870~1921 |
法律家 |
喜多郡大洲町(現大洲市)生まれ。エール大学で法学博士号を取得。シャム(現タイ)へ渡り、法律顧問としてシャム国の刑法や民商法などの起草を手がける。後にシャム国の特命全権公使を務めた。 |
城 ノブ ジョウ ノブ |
1872 ~ 1959 |
社会事業家 |
温泉郡川上村( 現東温市) に生まれる。聖経女学校( 現青山学院)で学んだ後に全国各地を伝道のために奔走。やがて、『神の啓示』により、苦悩にあえぐ女性救済のため「神戸婦人同情会」を創設。薄幸な女性を保護して自立を助けるとともに、廃娼運動や女性の参政権確立などに尽力した。 |
十河 信二 ソゴウ シンジ |
1884~1981 |
国鉄総裁 |
新居郡中村(現新居浜市)生まれ。第4代国鉄総裁に就任し、世界に誇る新幹線構想を打ち出した。また、四国の国鉄近代化にも貢献。春雷子と号して俳句をよくした。 |
宮本 武之輔 ミヤモト タケノスケ |
1892~1941 |
土木技師 |
和気郡興居島村(現松山市)生まれ。鉄筋コンクリートや河川工学の権威であり、技術者の地位向上にも尽力。新潟の信濃川補修工事では、最新技術の鋼矢板工法を採用した可動堰をわずか4年で建設し、越後平野を洪水から守り、民衆のために尽くした。 |
兵頭 精 ヒョウドウ タダシ |
1899~1980 |
女性飛行家 |
北宇和郡好藤村(現鬼北町)生まれ。済美高等女学校(現済美高校)を卒業後上京し、22歳で三等飛行機操縦士の免状をとり、日本女性初の飛行家となった。 |
河野 兵市 コウノ ヒョウイチ |
1958~2001 |
冒険家 |
西宇和郡瀬戸町( 現伊方町) に生まれる。22 歳で自転車世界一周を目指して日本を出発し、豪州、南米、北米、ユーラシア、アフリカの五大大陸に足跡を残す。この間、南北米大陸最高峰登頂、ユーコン川筏下り、サハラ砂漠徒歩縦断などを行った。平成9年、日本人として初めて、北極点の単独徒歩到達に成功した。 |